「最期」の誤用、「禁煙ファシズム」の初出

 最近、「最期」という語の誤用をよく見かける。まあ「さいき」と読んだり、「最後」の間違いだと思ったりするのは論外だが、これは「人の死に際」という意味である。「彼はこうして最期を迎えた」は、いい。しかし、「サルトルの最期の日々は」とやったら、誤用である。「最期」は、本当に死ぬときにしか使えないから、いくら死に際でも、「日々」とか、いわんや「最期の数年間は」などとは言えないのである。

 また「禁煙ファシズム」という語について、従来、1999年の斎藤貴男の文章を初出としてきたが、指摘を受け、1988年の山田風太郎のエッセイの題名に既に出ていることを確認した。「禁煙ファシズム」の題で『死言状』に収められている。
 なお「ファシズム」は、山口定『ファシズム』(岩波現代文庫)によれば、かなり限定された状況をさして使われる言葉であり、第二次大戦後においては、イスパニアフランコ政権くらいしか当てはまらない。従って「禁煙ファシズム」は、あくまで比喩的用法である。同時に、共和制になればファシズムになるなどという説も、現在の自民党政権ファシズムだという説も、成り立たない。

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http://d.hatena.ne.jp/rento/20070521
大橋洋一先生、たまにはいいことを言う。三ヶ月ほど前、私が久しぶりに某学会の地方支部例会へ行ったときのことである。発表は昭和初年に源氏物語をロシヤ語に訳したニコライ・コンラドのことで、コンラドは奈良ホテルで谷崎と会い、「愛すればこそ」の露訳を考えていたのだが谷崎に「痴人の愛」を提案されて、これをコンラドの弟子が露訳したので、聴きに行ったのだ。『痴人の愛』の外国語訳は、ロシヤ語がいちばん早く、英訳はずっとあとだったので、私は、ナボコフはこれを読んでいたのではないかと推測していたりする。
 さて、コンラドは「源氏」のうち四帖しか訳さなかった。そのため、のちにロシヤ語全訳は別の人がやった。発表者はそのことをはっきり言ったし、レジュメにもきっちり書いてあった。ところが、質問に立った、同会東京支部の重鎮らしきA学院大学名誉教授のKなる者が、だらだらとつまらぬ感想を述べながら、「あとから別の訳が出たというのは、コンラド訳に何か欠けるところがあったのではないか」などと言う。全然話を聞いていないのである。その上、「谷崎が会ったというのは大変興味深い。谷崎は若い頃は西洋崇拝で、後に日本回帰するのだが、コンラドに会ったのは何歳ごろか」などと訊く。なんだかずいぶん安直な谷崎理解だが、発表者にとって谷崎の年齢などすぐ出てくるものではない。だから私が「42歳です」と代わりに答えたのだが、どうせ谷崎のことなどちゃんと調べたことはないのだろう。こういうことをやっているから××文学者はバカにされるのだよ。

 あ、そういえばその時、会長の私市保彦先生が「やあ」と肩を叩いてくださった。大学三年の時に授業を受けて以来の知り合いとはいえ、私のようなヤクザ者出戻り会員に、と思って感涙にむせんだ。私市先生ってホントにいい人だ。