大波小波は東京新聞の恥部 

http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20100418

 なんで『永井荷風伝』より先に文庫化されるのだ。私が『谷崎潤一郎伝』『里見とん伝』という題名をつけたのは秋庭太郎に倣ってのことだ。確か私は秋庭の私家版のニューギニア戦記を持っていたはず。

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桜庭一樹は読書家だということで、『読書日記』が三冊出ている。それで図書館で、その真ん中のをちょっと読んできた。私市先生のエッツェルの本を読んで、その後私市先生にも会っている。私市先生は誰にでも優しい人である。読んでいる本はごくまっとうである。外国文学、幻想的なものが好きらしいがそれは当然だろう。
 しかし、ふと考えたら、作家が「読書家」だなどと評判になるのはおかしいのだ。誰も、丸谷才一五木寛之大江健三郎その他その他を「読書家」などと言わない。当然のことだからだ。少し前に、吾妻ひでおが読書家だというので話題になったが、要するに「ラノベ作家なのに」「漫画家なのに」読書家だ、という差別的言辞なのである。
 もっともこれを逆にいえば、桜庭あたりを読んで小説家を目指すような連中が、読書家でなくして作家になれる、と考えるような奴らであることをも示している。

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4月5日の「大波小波」が私の『もてない男浮雲』にいちゃもんをつけている。放置しても良かったのだが、『エンタクシー』で匿名子が、最近波波が面白くなったみたいなことを書いているので反論する気になった。
 波波先生は、私が「もてない男」を売りにしていると書いているが、この題名は私の反対を押し切って編集者がつけたものである。まあそれにすぐ分かる通り売れていないので、そういうものをいたぶるのはいじめだろうと思う。
 さらに、私が二葉亭の文明批判をばっさり切り捨てているなどというが、読めば分かる通り、私は二葉亭の文明批判などというのは浅薄なもので、流行に乗ったものだと思っている。だいたい私は近代化批判というのが嫌いで、では代案があるのか、どうしたらいいのかと言っても、護憲派のごとく連中には代案などないのである。二葉亭にだってないだろう。つまり下らないから斬り捨てたのである。
 なお当然「大波小波」は匿名なので、こういうものを書く人間というのを私は心底軽蔑している。