澁谷知美の内観体験

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 なんだ、澁谷、私の攻撃にもめげずに就職したんじゃない。良かったね。「私はいかにして挫折したか」なんて書いちゃって、死んだふりして、イケズ。さあ遠慮なく攻撃してこい。待っておるぞ。
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 「私はいかにして挫折したか」は、『女性学年報』2006年に載っている澁谷の「内観体験記」の副題である。2005年春に、箱根で「内観」に参加し、途中で挫折して帰ってきた記録である。
 てっきり、調査のための潜入かと思ったらそうでもないらしく、「先に体験していた母に『人生変わるよ』と勧められ」「いろいろな悩みを抱えて」いたため、参加したというのである。
 澁谷は、内観だの「自己啓発」だのが、それ自体では肯定的に捉えられることが多い、と書いている。とてもそうは思えない。一般庶民の世界ではどうか知らないが、良識ある庶民や、少なくとも知識人の世界では、胡乱なものと思われているというのが普通だろう。
 あげく、内観が、他人に感謝することを強要するシステムだの、世俗的な価値観やジェンダー観を押し付けるものだとか書いている。
 これは『女性学年報』である。女性学の世界で、いわゆる「カウンセリング」が、世俗的価値観を受け入れさせることによって治癒させるという形式を持っていること、それゆえにフェミニスト・カウンセリングというものができていることなど常識である。だから、澁谷が「告発」していることは、何の当たらしみもない。それより「母に勧められて」内観に参加してしまうことのほうが問題だろう。
 2005年といえば、澁谷は三十代半ばである。私はその年齢の頃、不安神経症に苦しみ、森田療法の本をいくつか読んで、絶対に、少なくとも自分には効果はない、と結論づけた。
 澁谷よ、しかし、意見の相違を来したからと言って内容証明を送ってきた私への行為に関しては、十分内観あってしかるべきだと思う。内観になど参加するより、私に「ごめんなさい」と言うことが先だろう。 
 (小谷野敦