なんでブログを書くのを嫌がるのか

 数日前からツイッターで「クロキケンジ」という人が、私の『名前とは何か…』に、毛沢東は「マオツェドン」とあるのは間違いだと言い出した。では何なのかと訊くと、アとウとオの真ん中あたりと言い、ウィキペディアにリンクしてある発声装置を示したから、表記が間違いだと言うなら自分の案を出さないのは卑怯だろうと言った。またピンインではzeなので、多くの人が「マオツェドン」としている。なぜわざわざ誤解されるような e表記をするのか訊いたら、それは中国語音韻学によると言う。私が「北京普通話では」と書いたのも問題らしいが、「広東語では違うのか」と訊いたらこれは回答なし。
 私は、間違いを指摘されたら基本的には訂正する。ただしこの本の場合、売れていないから増刷しないのでそちらは直せないから、ウェブサイトに載せる。だが、それは自分で「あ、そうだな」と思ったか、すぐ確認できた時のことで、依然として「中国語音韻学」の謎が残るので質問し、どうも態度が横柄だから、まず自己紹介をし、ブログででもきちんと説明してくれと言ったのだが、それには答えずだんだん口調が非難がましくなり、ほかにも間違いがあると言い出した。
 だからなんで、ちゃんと自己紹介してブログを書いて、ピンインというのはややこしいものだが…とやらないのかと、私はこの黒木健次(仮にあてる)の態度が嫌なのである。人の間違いを指摘するのは結構だが、それにも最低限の礼儀というのがある。
 なお「大学で第二外国語で中国語をとった人なら分かる」と言うのだが、私は中学生の時にラジオで『中国語入門』を聴いていた。大学でも二度くらい第三外国語でとろうとしたが、挫折している。

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校條剛(めんじょうつよし、1950- )の『ザ・流行作家』(講談社)を読んでいる。川上宗薫笹沢左保を描いたもので、校條は元新潮社の編集者、『小説新潮』の編集長を務めた。宗薫は論じられることの多い作家で、自伝的小説『流行作家』があって、それを模倣した題名だろう。
 この中に、宗薫と友人だった水上勉のいさかいが描かれている。水上は戦後、私小説フライパンの歌』でデビュー、ベストセラーにすらなるのだが、作家として続かず、行商をして暮らし、60年ころから推理小説松本清張とともに流行作家になり、61年に『雁の寺』で直木賞を受賞、抒情的な中間小説作家として名声を確立する。
 その61年、宗薫が、水上とのことを描いた私小説「作家の喧嘩」を『新潮』六月号に発表するのだが、これに水上が激怒し、こんなものを発表されたのでは自分の社会的名声は地におち、流行作家としての地位も失うと言い、宗薫は七月号に「水上勉への詫び状」を載せた。水上が直木賞をとるのはその直後である。さらに三年後、水上は意趣返しに、宗薫をモデルとした長篇『好色』を『新潮』に掲載している。これは単行本化され、角川文庫にも入った。
 しかし、「作家の喧嘩」は、そんな作品だろうか。実際読んでみると、そう大したものではないのである。校條も、読むと大したことはないが、水上が流行作家になって思い上がっている卑小さが浮かび上がる、としている。だが、この程度のことを書かれて激怒したら、さらに卑小さが浮かび上がるだけではないか。どうも水上というのは、いくらか偽善者めいた人だったらしい。実は『好色』のほうがよほどひどく、宗薫夫人のことまで書いていて、夫人はこれを読んで自殺まで考えたという。
 さらに校條は、宗薫はこの事件で文壇から干された、と思っていたら、『新潮』の同年九月号に、宗薫の「土曜日」と、水上の私小説「決潰」が載っているのを発見して驚く。『決潰』も角川文庫に入っている。宗薫自身が、干されたと書いていたのかどうか忘れたが、『新潮』はこれで最後だが、『文藝』にはまだ書いているし、既に少女小説作家としての歩みを始めている。
 いったいに、干されたというのは伝説であることが多く、竜胆寺雄とか川嶋至とか、干された、と言われた時期よりあとに、直木賞候補になったり、文藝誌に書いたりしている。ただ川嶋の場合、井口時男が言うように、安岡章太郎批判で干されたというより、川端康成への執拗な没後の攻撃で消された気がする。
 そして校條は、ここから斎藤十一と「新潮ジャーナリズム」の批判へ移るのだが、それはおかしい。斎藤十一が「ワル」の雰囲気を持つのは確かだし、瀬戸内晴美『花芯』事件の真相も謎だが、ここで校條が書いているようなことは、本書の刊行元である講談社にもあるし、文春にもある。週刊誌を持つような出版社ならどこでもあることである。そして、斎藤十一に矛先を向けることで、本当の悪人のことは置き去りにされている。
 水上勉である。1963年、谷崎潤一郎は「『越前竹人形』を読む」を、三回に分けて「毎日新聞」に掲載した。水上は第一回を読んで感激し、新聞社へ駆けつけて、残り二回分も読ませてもらったという。新人作家なら分からんでもないが、直木賞をすでに受賞した45歳の作家として、人間の卑しさ、権威主義が浮かび上がると、私は思った。「喧嘩のあと」に対する『好色』は、頬を打たれて刺し殺すくらいの過剰防衛である。