音楽には物語がある(5)旅立ちの日に 

 「仰げば尊し」に代わって、卒業式でよく歌われている歌、として「旅立ちの日に」が紹介されたのをテレビで観たのが最初だったろうか。この歌は一九九一年に、埼玉県秩父市立影森中学校の校長と音楽教員が作ったという。校長・小嶋登は「歌声の響く学校」を目標としており、当時まだ若い音楽教師の坂本浩美(現・高橋浩美)が作曲したという。坂本が小嶋に作詞を依頼し、小嶋はとてもできないと言ったのだが、翌日、坂本の机の上に歌詞が載っており、坂本は音楽室にこもると、湧き出るように旋律が思い浮かび、十五分ほどで作曲したという。
 聴いてみると、なるほどいい曲である。私は海上自衛隊の歌姫と言われる三宅由佳莉が歌ったDVDを購入したこともある。
 小嶋は二〇一一年に八〇歳で死去した。だが、坂本はそれで作曲家デビューしたわけではないし、その後結婚して今も学校教師なのだろう。「旅立ちの日に」は、いちおう名曲といっていいが、それを一介の中学校教師が作ったということに驚きもあるが、作詞のほうは、まあ、札幌オリンピックのテーマ曲「虹と雪のバラード」を医師の河邨文一郎が作詞しているが、この人は何冊も詩集のある詩人である。まあ作詞はいいとして、素人に作曲ができるものだろうか、というある問題が私には引っかかっている。
 私は高校生の時に、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に感動して、「音楽に目覚め」、先ごろ死去した前田憲男の『作曲入門』というペーパーバックを買ってきたことがあるが、まあ役には立たなかった。この役に立たない感じというのは、「漫画の描き方」とか「小説作法」のような本に通じるものがある。
 その後私はオペラの研究をしようなどと大それたことを考えて、和声学の本などまじめに読んだのだが、和声学の本を読んで音楽が分かるわけではないし、作曲ができるわけではない。
 ある歌手が作曲をし、採譜ができないから人にやってもらった、という話もある。編曲やオーケストレーションは、和声の知識がないとできないが、単旋律のメロディーなら実は誰でも作れる可能性がある。シンガーソングライターはもちろん、駅前でバンドを組んで歌っている連中だって作曲はしている。だいたいはピアノやギターを弾きながら考えるのだろうが、それすらできない者もいる。小説や漫画も、本に書いてあるのは周辺の技術で、私小説はともかくとして、肝心の「筋」を作る手法は、当人に才能がなければ教えることはできないのだ。
 ただし、そうやって作った曲がどの程度完成度が高く、また独自性を持っているかが問題なので、十六歳の小坂明子が作った「あなた」は大ヒットしたが、「マイ・ウェイ」と進行が似ていると言われたし、「旅立ちの日に」も、「翼をください」のような感じの曲で、ポピュラー・ソングのある手法でうまく作ったということだろう。現代の作曲家なら、誰でもモーツァルト風の曲は作れる。
 以前はNHKに「あなたのメロディー」という視聴者参加番組があり、「空よ」「与作」「算数チャチャチャ」「わたしは「とうふ」です」などの名曲が生まれたもので、つまりメロディーは素人でもある程度の才能があれば作れるのだ。
 代作問題で知られた佐村河内守は、森達也ドキュメンタリー映画「フェイク」で、森に示唆されて作曲を試みていた。音楽関係者は、凡庸な曲、と言っていたけれど、私はわりあい素直に「あ、作れるんだ」と思ったものである。
 そういえば私の好きな女性落語家の川柳つくしも、ウクレレを弾きながらうなぎソングを作っていた。まあ鼻歌で作曲する人もいるらしいし、私自身、子供のころに二曲、大人になってから一曲、今でも覚えているくだらない歌を作ったことがある。