尾崎一雄の妻

 先日、尾崎一雄の夫人だった松枝さんが亡くなった。あの「芳兵衛」である。夫人なくして尾崎一雄なし、と言っても過言ではない。「芳兵衛」とあだ名される妻って、なんか素敵である。「暢気眼鏡」である。「玄関風呂」である。中で忘れがたいのが、もし夫人がほかの男が好きになったら、と考える主人公で、その時は仕方ない諦めよう、と思うのである。「暢気眼鏡」の頃尾崎は38歳、松枝さんは24歳と若かったのでそう考えたのだが、谷崎先生も自分が老人性不能になった時、17歳年下の松子(こっちも松だ)に「よそで楽しんできても」と言ったそうだ。もっとも松子はもう40代半ばだったが・・・。
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 昨日の分がむやみと多かったのでいくつか移動する。

 日本人は何でも翻訳する、「フィネガンズ・ウェイク」まで翻訳する、などと言う人がいるが、ウソである。「クラリッサ」なんか、先日ようやくウェブ上に全訳が出たのみだし、「ヒューディブラス」は未訳。「影響の不安」は私がやるまで翻訳がなかったし、イヴリン・ウォーの「名誉の剣」三部作だって、アイヴィ・コンプトン=バーネットだって翻訳がない。ノーベル賞をとったショインカの小説もない。訳しているのは現代アメリカ小説と、「ニューアカ」系やサイードばっかりである。いい加減なことを言うのはやめてほしいものだ。

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最近の大学では、英語の会話能力をあげよ、などと盛んに言っているが、それなら英会話学校へ行った方がいい。ECCとか。それと、原発音と違っている外来語を修正したらどうか。「ホスト」「ポスト」なんてのは「ホゥスト」「ポゥスト」でなきゃ通じない。「ページェント」も「パジェント」、「チケット」は「ティケット」、「チップ」は「ティップ」、「レディー」は「レイディー」。

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川端康成ノーベル文学賞を受賞した時、受賞講演の「美しい日本の私」を、日本の古典をたくさん引用して書き、それがぎりぎりだったのでエドワード・サイデンスティッカーがおおわらわで英訳した、という話はよく知られている。そして人は、英語など分からない鶏ガラのような老作家を想像するのだが、川端は東京帝大英文科に入学して、途中で国文科に転じているが、若いころは英文小説の翻訳もしているのだ。イメージというのは怖い。
「その前の春、私は川端康成の美しい小説を読んだところだった。京都の町人の老人たちが途方もない金を払って、町で一番美しい娘たちが麻酔にかけられて裸で眠るのを見つめながら一夜を過ごし、同じ床の中で愛の苦悩に悶えるという物語だった」(ガルシア=マルケス眠れる美女の飛行」)
 いや、だいぶ、違ってるんですけど。

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 以下は、與謝野晶子の次男・光の妻道子が、天国の義母と交わした会話である。名は補った。
道子「・・・いまはタバコは百害あって一利なしといわれ、喫煙者がいじめられているようです」
晶子「おやおや。体によいということはないかもしれませんが、タバコは嗜好品として四〇〇年、五〇〇年も前から人間の生活にとけ込んでいるものなのですよ」
道子「はい。しかしタバコが嫌いという方が嫌煙権を発動いたしております。・・・」
晶子「嫌煙権とはヒステリックですね。私は気分の上での効用はあると思うのですが」
道子「私もそう思います。それよりも麻薬をとりしまるべきだと思うのです」
(與謝野道子『姑の心、嫁の思い』PHP研究所、1988)
道子さんは2000年、死去。與謝野馨の母である。いい人だなあ。
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 最近、安部譲二が盛んに「タバコをやめた」とか言って禁煙補助剤の広告に出ている(むろん本人は一回何かしただけだろうが)。困ったものだ。だいたい安部はもう今年70になる。タバコは人によっては年をとると体が弱ったり、社会的ストレスが減ったりして自然にやめられたりするものだ。前にラジオに出た時も、60でタバコをやめようとしているという聴取者に、そう言ったんだが。30,40代の男の喫煙率は依然50%を超えている。つまり第一線で仕事をしているとストレスがかかるってことなんだよ。だから専業主婦にタバコ嫌いが多いのだ。