『一冊の本』の金井美恵子先生の連載、今回は茂木健一郎と中村文則の悪口で爽快。恐山へ行って「信じてない」と言いつつ小林秀雄の霊をイタコに呼び出して貰ったり、盛んにテレビに出るかと思えば江原啓之の『ANOYO』なんて雑誌にも登場して、とうてい学者とは思えない茂木である。中村文則のほうは『群像』の合評の川村二郎先生の引用で、かつてのドストエフスキー熱がぐるりと一回りした感じで、歓迎したくない先祖返りだと川村先生はおっしゃっている。誰が見たってドストエフスキーのまねをすれば純文学小説になるという基本的勘違いをしているこの若い作家を世間が甘やかす理由が私にはよく分からぬ。顔がいいからか? 金井先生がドスト嫌いであることも分かって感涙にむせぶ。先月の毎日新聞の川村湊など中村を持ち上げているがごとくに見えて単に死刑制度反対を唱えていただけ、今月は教育基本法改正反対を言っているだけで、これは文藝時評じゃないだろう。朝日新聞は、フランスで死刑が廃止されたと報道して日本にも外圧が、ってそれはキリスト教国の話でしかないし、「なんとなく、リベラル」な連中は、グローバリズムに反対しているのに死刑廃止とか禁煙とかになると口を拭って「世界の大勢」とかいうのは二重基準もいいところである。
ついでに言うが北村薫さんに直木賞をやらなかったらしい阿刀田高という人は、ギリシャ神話だの聖書だのアラビアン・ナイトだの、古典を現代日本人に紹介するのが主たる仕事で、今も『神曲』をやっているが、こういうのは世が世なら「作家」じゃなくて「ライター」の仕事だろうに、いったいなにゆえ重鎮作家であるのか、甚だ疑問である。あと宮城谷昌光も妙に人気があるのだが、私はどこが面白いのか分からん。かつて都合上褒めたことがあったが、ただ「史記」や「春秋」の話をだらだらだらだらと引き延ばしているだけでめりはりはないし色気はないし、夏姫なんて、淫蕩で有名な女なのに宮城谷の手にかかるとまるで色気のない小説ができあがる。もしかすると現代のサラリーマン男の一部は重度の女性恐怖症に罹っていて、女の匂いのする小説が嫌いなのかしらん。
さて、佐藤優の魚住との対談だが、いよいよ分からなくなっていく。佐藤は、太田光と中沢新一の、憲法九条を世界遺産に、というのが「國體の本義」に似ており危ういというが、自分でも「九条を変えたら日本が戦争に負けて天皇制がなくなる」と同じようなことを言っていたはずだが・・・。続けて佐藤は、しかしこれが主流でないうちは支持すると言い、米国のイラク攻撃の際九条が歯止めになったと言い、日本の国益になっていると言う。いや、だから、北朝鮮有事があったら九条が桎梏になるだろうということが今問題なのではないか? 佐藤優って、単なる「戦後民主主義者」ではないのか。