むかし「言論は日本を動かす」という書籍のシリーズがあったが、最近は、権力者が言論を無視することを覚え、無視しても平気であることを知ってしまったので、動かさない。町村合併による新地名の創出など、言論人のほとんどすべてが批判していたのに、蛙の面に水である。
先日、いま書いている15,6世紀イングランドに関する本のために、地図を作ってくれと編集者に頼んだら、参考文献を教えてくださいと言ってきたから、イングランドの地図くらいすぐ見つかるでしょう、と叱言を言った。すると、「ああ、昔の地図なので」と言われて、ああ、と思ったのだが、確かに日本で15、6世紀の地図を作ろうと思ったら、今の地図ではまるで役に立たない。国名と県名は全然違うし、東京はおろか江戸さえ江戸城がかろうじてできた頃だし、大阪も名古屋も福岡も横浜もない。中世から変わっていないのは、鎌倉くらいか。それに対して、ロンドンやパリ、ローマはその当時からあるし、地域の名前もそれほど変わっていない。ビゼーのオペラ「美しきパースの娘」の原作はスコットで、中世スコットランドが舞台だが、パースは今でもある。もっとも支那の場合も、都市名や地名は変わっているから、アジア的伝統なのだろう。
しかし「廃藩置県」というが、それは同時に「廃国置県」であって、むしろその方が正しい名称ではあるまいか。信濃、大和、播磨、等々、古代以来続いてきた国名がばっさりと変えられて、残ったものなど一つもなかったのだ。かろうじて市名に「河内長野」「武蔵村山」などとして残っているだけ。これは暴挙ではなかっただろうか。ヨーロッパで、近代化に際してこんなことをやったとは聞いたことがない。今でも「滋賀県」というより「江州彦根」とか、「高知県」より「土佐」、「香川県」より「讃岐」のほうが、ピタッと来る。もう一度国名を復活させたらどうか。「伝統主義者」たちは、なぜそういうことを唱えないのか。
そういえば英国でジャンクフードのCMが禁止されるそうだ。ほらね、禁煙ファシズムが進むと、どんどんこうやってあれになるんだよ。でも、多くの人命を奪うクルマのCMが禁止されたりはしなーい。資本制の悪夢だ。
上告は受理されなかった。
・中島みゆきのウソ
「そんな時代があったねといつか笑って話せ」ないまま死んでしまう人もいると思う。そういう人は「生まれ変わる」のか? ああ、呉智英先生の女神がオカルトだったなんて! 「それでも朝は来る」を書いた森村桂は自殺してしまったし。