音楽には物語がある(7)日生のおばちゃん 中央公論2019年7月

 「日生のおばちゃん、自転車で」で知られる、日本生命のCMがあった。一九八六年まで流れていたらしいが、私は一九七〇年代にこれをテレビで聴いた時、何かの替え歌かな、と思った。まずメロディーをよそで聴いたことがあったし、歌詞に「日生のおばちゃん」などと企業名が入ること自体、替え歌っぽかったからだ。
 果たして、一九七九年に「みんなのうた」で「ヒュルルじんじんからっ風」という、群馬県の子供を描いた短調の哀感とノスタルジーあふれる曲が放送された。これは前にも放送された再放送曲だったから、私は「ああ、『日生のおばちゃん』はこれの替え歌だったのか」と納得したのである。
 ところが、今回この稿を書くために調べ直して驚きかつ混乱したのだが、ありようはこうである。「日生のおばちゃん」は、「モクセイの花」というれっきとした題名もある、小林亜星作曲のもので、「日生のおばちゃん」のCMは一九六九年から放送されていたと、ウィキペディアではなっている。歌っているのは四人組のデューク・エイセスである。
 これに対して「ヒュルルじんじんからっ風」は、名村宏作詞、小森昭宏の作曲で、一九七○年二月に初放送された。その時歌っていたのは、東京荒川少年少女合唱隊だったが、七九年に再放送された際、歌手がデューク・エイセスに変わっている。
 ユーチューブで聴き比べてみると、なるほどまるっきり同じ歌ではないが、一部がほぼ同じメロディーで八小節は続いているし、実際よく似ている。
 作詞はともかく、この二つが、作曲者が同じであれば、まあメロディーの使い回しというのはないことではないし、ですむのだが、違うからややこしい。しかも、どちらが先かすら正確には分からない。「モクセイの花」が六九年には放送されていた確証もない。
 しかも、のちに「ヒュルルじんじん」を同じデューク・エイセスが歌うことになったから、「ああデューク・エイセス風の歌だな」と大抵の人は思うだけで、来歴までは追及しないのである。本人たちはどう思っているのであろうか。
 ユーチューブには、似ている音楽をたくさん並べているサイトもあり、「新世紀エヴァンゲリオン」と「007」の音楽の似ているのなどぎょっとするが、私が昔から気になっているのは「花のメルヘン」(敏トシ作詞・曲、一九七〇)「別れても好きな人」(佐々木勉作詞・曲)との一部の類似である。「花のメルヘン」はダークダックスが歌った「大きな花と小さな花」の曲だが、「別れても好きな人」は私が高二の時の流行歌で「やっぱり、忘れられない」というところが「花のメルヘン」の「春の日差し浴びて」の四小節くらいとそっくりだと思ったので、似ている音楽というといつもこの例を思いだす。
 「花のメルヘン」は、女にもてる大きな花と、もてない小さな花の話だが、大きな花は「生きてることの楽しさはお前にゃ分かるまい」とすごいことを言う。小さな花は「たとえ独りぼっちでも、僕には心の太陽がいつも輝いてる」と答えるのだが、「生きてることの楽しさ」を自分は知っているのだろうか、などと自問したくなってしまう。
 何しろ世界中で大量の音楽が作られているのが現状だから、四小節くらい似ているものなどたくさんあるのだろう。そのうち、すべてのメロディーが作られてしまった、という状況が来るのだろうか、コンピューターで計算したら、あと何年くらいで終わる、と分かりそうでもある。