四方田犬彦の「先生とわたし」(『新潮』三月号)って、由良君美の思い出であることを、さっき書店で見て知って買ってきた。なお私は四方田さんとは面識がない。
由良先生といえば、私は一年生の時に英語を教わったが、教科書はデズモンド・モリスの『ジェスチャー』で、邦訳が出ていたから、そう苦労はしなかったが、それより前に、『幻想文学』などで知っていた由良先生とは、ちょっと印象が違う、とっつきにくい人だという感じはした。
いわゆる全学共通の「由良ゼミ」にも申し込んだのだが、落とされた。一学年下の田中雅史(現在甲南大学助教授)も落とされたが、直談判に行ったら入れてくれたそうだ。因みに四方田さんは、修論がスウィフト論だったため、以前よく、元々の専攻は英文学などと書かれていたのだが、宗教学出身である。英文科から比較文学へ進んだのは、亀井俊介と、ほぼ同世代で埼玉大学教授だった吉田正和、いま東大教授の井上健、私と田中の、都合五人しかいない。英文の院へ行く方が就職はいいからであろう。四方田は、今では信じられないだろうが、当時、比較文学の院は「二期校」のように思われていて、文学部の院へ行けなかった者が行くところだった、と書いているが、さて、今では信じられないかどうか、今でも、本当の秀才は本郷へ行くんじゃないかなあ。
由良君美の名は、新井白石の名と同じだが、四方田はこれを「幼名」と書いている。そうではなく「名」とあるから諱だろうが、それにしては「きんみ」と奇妙なルビがついている。
由良先生が「酒乱」であることは、多くの人が知っていた。というか、その奇行は、いわゆる「中沢事件」の時に西部先生が暴露していた。ここにも出てくる経済学の早坂忠と並ぶ駒場二大酒乱で、確か早坂の酒乱ぶりは浅羽『ニセ学生マニュアル』にも書いてあったが、某日、この二人がさる酒場で仲直りの酒を呑んでいて大喧嘩になり、「東大の先生が取っ組み合いの喧嘩をしている」と学部へ連絡があったという話もある。四方田が書いている通り、早坂は経済学者なのに英語教師、由良は東大出身ではないということで、不満や疎外感のため二人揃って酒乱になったと言っていいだろうが、今では、駒場が大学院大学になったせいもあろう、木畑洋一のような歴史学者のほか、英文学者ではない人も何人も英語科所属で、むしろ文学研究者などあまり採用されないという状況になっている。ただ、語学教師というのは、精神を病みやすい地位ではある。また、自分より遥かに業績の劣る者が、より待遇のいい本郷の英文科へ引き抜かれていくのを由良は悔しがりながら見ていただろうとあるが、それを言うなら、由良を駒場に呼んだ高橋康也こそ、その苦悩を最も激しく味わった人だろう。一年生の語学から大学院まで教えなければならない駒場の教員というのは、今なお激務であって、既に過労死者が三人出ているとも言われ、佐藤良明はこの三月で駒場を去る。
名ざしはされていないが、四方田が韓国へ留学することになった時に蓮實重彦から冷たくあしらわれた話も出てくる。ただその背後には、韓国行きの背景にいた芳賀徹と蓮實の複雑な関係もあったろうが、そのことは巧みに隠されている。あと、岸田秀も出てくるが、その義妹の船曳由美が、船曳建夫の姉だとある。ということは岸田夫人が船曳先生の姉ってことか。意外な閨閥である。(どうやら由美が岸田夫人らしい。四方田の誤りか)
さて、先般、「世界は村上春樹をどう読むか」というシンポジウムが開かれ、本にもなったが、そのコーディネーターは、沼野充義、柴田元幸、藤井省三、四方田の四人だったが、この顔ぶれを見て、四方田だけが東大教員でないことに、私は複雑な感慨を抱いた。本来なら四方田が、駒場の比較文学の教授であるべきだったろう。実際、15年ほど前、「四方田さんがもう少しアカデミックにやっていてくれたら、比較で採れたのに」という人もあった。
この由良君美私説は本になるのだろうが、四方田さんは昔から日本語が時々おかしい人で、編集者や校閲がしっかりしているとそれも直るのだが、ここではあまりちゃんと直っていない。
だから気がついたところを記すと、
・163p「エリオットを金科玉条視してきた日本の英文学者」はおかしい。「エリオットの著作を聖典視してきた」とでもすべきだろう。
・167p「オーラに近いものが宿っていた」。どうも変だ。「漂っていた」「を放っていた」などとすべきだろう。
・168p、青柳晃一が1969年当時の教養学部長だったかのように書いてあるが、青柳が学部長だったのは1989年、1969年なら原佑である。
・212p「学内政治に疲弊しきっているふり」「ふう」?
・由良先生退官後の就職先「東洋英和女子大学」とあるが、「東洋英和女学院大学」では?
・由良先生の還暦退官記念論文集に、高山宏を除いて英文学者は寄稿しなかったとあるが、事実ではない。東大英文科助教授・富士川義之、東大教養学部教授・島田太郎、高宮利行、小野寺健、森常治、海保眞夫、藤井治彦、新倉俊一(としかず)などなど、ちゃんと寄稿している。