増加する戦後民主主義者

 糸圭秀実は、井上ひさしを「戦後民主主義者」と呼んだ。天皇を認め、憲法第九条を守れと主張するのがその謂である。私は、井上がかつて激しい反天皇論者だったとして糸圭に反論したが、井上が文化功労者となって天皇の茶会に出たとき、井上は私と、井上を信じる人々を裏切った。
 このところ、その戦後民主主義者は、減るどころか増える一方である。島田雅彦中沢新一梅原猛らだ。天皇を崇敬し改憲を唱えるのを「保守派」、天皇制を否定するのを「左翼」とするなら、日本はその間に「戦後民主主義者」の群れがたくさんいる国なのである。他国では見られない現象だ。その逆、つまり憲法九条改正と共和制への移行を唱える「近代主義者」は、私や橋爪大三郎など、少数派である。
 右から左から、「戦後民主主義」に参入するわけで、島田は左から、中沢や梅原は右から入ってくる。ここにいればマスコミ受けもいいから、居心地がいいのだろう。そういう意味では、マスコミ、つまり新聞や総合雑誌の世界全体が戦後民主主義化していて、朝日や毎日だって「ご生誕」があれば「天皇制」には触れられないし(いずれも社説は「ご生誕を心から喜ぶ」であった。心から、か・・・)、フェミには透明なタブーがあって、「保守派」的批判の場しかない。堀茂樹のような近代主義からの批判の場はあまりない。
 本来、マスコミの機能不全を撃つのが『噂の真相』の役割だったのだが、もう最後のころは、褒めてくれる文化人は攻撃しないスタンスになっていたし、雑誌自身が左翼とフェミにはタブーを作っていた。エロ写真載せれば反体制だみたいな大時代な頭もあったし、だからダメなんだよ。なんか『噂真』最近褒められすぎだぞ。