不良ぶりを競う知識人

 『ユリイカ』の西原理恵子特集の真ん中辺にある大月隆寛と西原の対談で、1993年に大月が「BSブックレビュー」で西原の『怒涛の虫』をあげたことを編集部が指摘して導入とし、大月が例のごとく「記憶にねえんだよなあ。あの番組、思いっきり偏向しやがてて相性最悪だったし」と言うや西原がすかさず「評論家の人はそうやってスカすんですよ。二番、三番は難しい本を挙げて、一番に柔らかい本を持ってくる。それで「僕はこんなにマニアな本だって読んでるんだよ」って、自分の柔軟さをアピールする」。大月は苦笑しつつ閉口している。しばしば、書評で人は「こんな難しい本も私は読めるんですよ」と言うために本を選ぶと言われるが、近年目立つのは、まさに西原の言う「こんなヤクザっぽいものも読んでるんですよ」式のあれである。しかしてこの『ユリイカ』は(というより最近の『ユリイカ』はしばしば)、知識人たちの「しもじもの事情にも通じていますよ」という衒い(衒いとはこういうところで使う言葉だ。何の衒いもなく、というのはたいてい「照れ」の間違い)の場と化す。今回すごいのは、法政大学経済学部助教授・社会思想史専攻・後藤浩子である。鹿島茂の文章は、西原は林芙美子に似ている、と書いているが、後藤は同じようなことを書いて(註−−林芙美子っていうのは、あの森光子さんが定番で演じている役柄です)とくる。だいたい『ユリイカ』の読者が林芙美子を知らないわけがなく、後藤は、林芙美子は知らないが森光子なら知っている「庶民」の立場に私は立てますよという衒いのために、こう書いている。その後も後藤の「不良ぶりっこ」は相当なもので、最後は「少子化男女共同参画担当大臣猪口邦子様、まず『朝日のあたる家』を読み、まんこを拝んでからものを言いましょう」と締めくくられている。くらくら。後藤浩子、今年46歳。ポスコロとフェミとポストモダンとがごちゃ混ぜになった本を先般上梓している。
 それに比べて、注までつけてまじめに論文を書いている新田啓子の姿勢は、いじらしい。巽孝之の秘蔵っ子大串尚代も、不良たれという圧力に屈せず、優等生的なエッセイを載せていて、ちょっとかわいい。
 いや〜しかし、予告に名があったが結局載らなかった金田淳子渋谷知美が書いていたら、どんな「不良」ぶりを発揮してみせてくれたか、ちょっと惜しい気がする。