迷走する谷沢永一

 私がエッセイを連載している角川春樹事務所の雑誌『ランティエ』八月号に、映画・本・音楽の各ジャンルお勧め企画があった。巽孝之がいたのには、概して保守雑誌とみられるだけに意外だった。さて、谷沢永一が、飛ケ谷美穂子の『漱石の源泉』をあげている。飛ケ谷は在野の研究者で、英国小説と漱石作品の関係を論じた博士論文である。谷沢は「数えきれないほど多量に書かれた漱石論の、すべてに卓越する比較文学研究であるのに、学界は重要視を避けている」とやや憤っている。飛ケ谷の本は私も書評したが、『行人』に出てくるメレディスの書簡を漱石は誤訳していて、その誤訳は私が『夏目漱石を江戸から読む』で指摘したのに、飛ケ谷は改めて誤訳していたから、それを指摘した。うっかりミスにしては、二重うっかりである。博士論文指導の過程で誰か教えてあげなかったのか、と思う。だいたい飛ケ谷は比較文学会員で、私も当時は会員だったのだが、私の本は見ていないんだもの。だから感心しない。学界というのがどの学界か知らないが、別に重要視するほどの本だとも思わなかった。
 また谷沢は、大山誠一の『聖徳太子の「誕生」』をあげている。これは聖徳太子虚構説を述べたもので、厩戸皇子という人物はいたが、聖徳太子のような偉大な指導者は、記紀編纂時に作られたものだというのだ。谷沢はこのところこの説にひどく肩入れしている。しかるにここでは「現行の歴史教科書の何処にも聖徳太子は登場しない」とある。びっくりして調べたがそんな事実はない。そして「本書は、歴史学者による舞文曲筆の日本古代史が、嘘で固めた作り話であり、全く頼りにならない実情を懇切に教えてくれる」と書いている。
ところで大山は、「左翼」の人であるらしい。角川文庫に入っているのは、『聖徳太子と日本人−天皇制とともに生まれた<聖徳太子>像』という本であり、谷沢が嫌う「天皇制」という語が含まれている。しかも聖徳太子不在説は「朝日新聞」がとりあげ、大山は『論座』にもその説を書いている。
 事実としていえば、聖徳太子が偉大な人物だったというのは、後代の伝説である。彼が仏教を擁護したため、仏教勢力がその伝説を作り上げたのである。
そして「新しい歴史教科書をつくる会」では、この説を厳しく攻撃している。谷沢は「尊皇家」だが、「つくる会」は尊皇の度合いが低いのと、十五年戦争侵略戦争だと認めているのとで、内ゲバのように攻撃を続けてきた。そしてとうとう「左翼」の手まで借りて、「歴史教科書に登場しない」などと嘘までつくようになってしまった。日本古代史のどこがどう嘘で固めてあるのか知らないが、書誌学者としては優れている谷沢が、政治的書物においては近年見るに耐えない迷走を続けている。