当然ながら私は『噂の真相』やら2ちゃんねるを嫌悪しているのだが、この二つは「公人」の捉え方が間違っている。たとえば私の「離婚」を『噂真』が書いたとき、元妻は仮名だった。無名の人なのだから、ということだろう。ところが当時、あちらは国家公務員だったのであり、こちらは非常勤講師兼文筆業に過ぎなかったのだから、実は公人はあちらだったのだ。ハイエクは、『隷従への道』で、会社社長より近所の交番の警官のほうが権力を持っている、と書いた。これは、その会社の従業員にとっては正しくないし、私は以後のハイエクの著作を読んでいないから、訂正されているかもしれない。しかし、国立大学法人化前の東大教授だった上野千鶴子が、結婚制度に反対して「なぜセックスの相手をわざわざおかみに届けなければならないのか」と言ったとしたら(多分言っていないが)、大笑いなのである。国家公務員職員録に載っている上野は、れっきとした「おかみ」の一部だからである。
あるいは、衆議院議員だった辻元清美が、小林よしのりに抗議文を送りつけた時、小林が「国家権力の弾圧には負けん」と書いたのを多くの人は笑ったが、これも小林が正しい。いくら売れていて有名な漫画家でも、いくら弱小党の党員でも、国会議員は国家の一部なのである。たとえば島田裕己や植草一秀など、私立大教授は、マスコミで疑惑を報道されたとか、逮捕されたとかいうだけでクビになるが、香川大学教授・岩月謙司がクビになっていないのは、やはり国立大学法人だからである。『噂真』に対する名誉毀損裁判で森善朗が勝てなかったのも、森が国会議員にして元内閣総理だからである。裁判所は、そういうことは理解しているのだ。
私が「阪大辞職顛末」をエッセイ集に入れようとした時に反対されたのは、名誉毀損で訴えられると困るという理由だったが、「反論できない相手に」という言葉も耳にした。これもその種の勘違いであって、反論など今ならインターネットでいくらでもできる上、あちらは国家公務員である。「阪大から何か言ってきましたか?」などと訊いてきた若者もいたが、そんなことをするはずがない。権力は無視することで勝つのである。
もちろん、大企業やマスコミのトップなどになると、公人に準ずるといっていいだろう。しかし彼らは、高い金を払って弁護士を雇い、損害賠償訴訟を起こすことができる。末期の『噂真』は、だから、そういう金力や権力のない者ばかりいじめていた。私は前に「2ちゃんねるにも企業の内部告発などは期待できるだろう」と書いたのだが、裁判を起こされるとあっさりログを提出して書き込み者が特定されるので、それはできないことが分かった。もちろん、裁判を起こして賠償金をとられているケースもあるが、結局、「本を出したりして社会に影響を与える人」のごとき「公人」規定は、ただカネのある者を得させるだけのものなのだ。