「外人」は差別語か?

 こないだ大相撲中継村松友視がゲストで出ていたが、「外人力士が」と繰り返すので、ああこれはまずいな、と思っていたら、案の定、注意されたらしく「外国人」と言うようになった。
 「外人」は「不適切な発言がありました」と謝罪するほどではないが、使わないほうがいいグレーゾーン差別語らしい。阪大にいた時、英国人で講師をしていた男が「僕もガイジンガイジンって言われて辛かった」と言っていたので、ああ外人は差別語だとされているのだな、と思ったのだが、彼が辛かったのは、「外国人教師」ではなくて正規の専任講師なのに、五、六年日本にいても日本語がなかなかうまくならなかったり、そういうこともあったのだ。
 しかし「外人」の対義語は「邦人」である。外国で事故などが起こると、「邦人の被害者は」などと言うが、私は前から「日本人」でいいではないか、と思っていた。どう考えたって、「日本人」でなく「邦人」である必然性が分からない。
 「鮮人」とか「満人」とかいうのも、昔の差別語だと思われている。しかし、「日人」という言葉もあったのだ。鮮人、満人、日人。元来は差別語ではない。
 もっともそんなマスコミの規制よりも、私が憂えているのは、マスコミが規制している言葉を、一般人が日常会話で使うのもいけないのだと思っている人がいることで、そもそも言語というものはどこかから規制されるべきものではない。ところが、国家による言語統制を批判する左翼知識人は、戦後の日本国家が漢字制限をし、正仮名遣いと正漢字を追放したことは批判しないのである(たとえば田中克彦)。もちろん、「第四の権力」といわれるマスコミだって、言語の規制は批判されるべきである。     (小谷野敦)