いりません論壇時評

 新聞の「論壇時評」というものがあるが、あれは何だろう。朝日新聞では金子勝がやっているが、その前の藤原帰一ともども、ただ平坦な(藤原の場合には時にバカ丸出しの)左翼的議論が書いてあるだけで、6,7年前に担当していた米本昌平の時のような意外性や面白さがまるでない。単に朝日的議論の総括をしているようである。それに、以前は「私の三点」、今は数名で選んだとかいう、今月の論文何点かの紹介があるのだが、何よりこれが、「世界」「現代思想」「論座」「中央公論」のような論壇誌に載ったものに限られている。「私の三点」だった頃は、何せ選んでいるのが朝日御用達文化人みたいなリベラル派ばかりだから、実につまらなく、かつ変なのは、たとえば単行本で出たものと同じ論旨のものをわざわざ論壇誌から拾ってくることで、新聞側の言い分としては、単行本は書評欄担当だから、ということなのだろうが、ということは単行本で出ても論壇誌に載らないとここではとりあげられない、ということで、しかもその大方は、リベラルあるいは左翼の、どうということのない「論文」で、読者に裨益するところはほとんどない。これではまるで文藝時評である。こちらも、「文藝雑誌」に載った小説が主たる批評対象で、作者と編集者しか読んでいないと言われている。かつて井上ひさしや川村二郎、高橋源一郎などがやっていた時は、独自の方針でおもしろく書いていたものだが、結局いつの間にかもとに戻っている。これは芥川賞候補作などもそうで、今では文藝雑誌に載った短編か中編しか候補にならない。昔は、同人誌から候補になることもあったのに。
 新聞に戻せば、既にインターネットのおかげで、新聞は読まない人が増えているというのに、わざわざつまらなくしてゆく、その神経が理解できない。芸能欄へ目をやれば、小さん襲名が決まった三語楼に余裕が出てきたなどと、あからさまな落語協会ヨイショの落語評が載っていたりして、ドッチラケである。小さん襲名に批判の声があることくらい、書いたっていいではないか。(もっとも「ひょっとしたら、案外、いい六代目が誕生するかもしれない」とあるから、それなりに言ってはいる)
 私などは、『諸君!』を毎月送ってくれるから、朝日と諸君と両方見ていれば、だいたい両者の言い分が分かる。もし政治的に戸惑っている人がいたら、朝日と諸君と両方読むことを勧めたい。しかし、この数年の朝日は、以前に比べても頑なである。書評欄もオピニオン欄も、左翼で固めているように見える。時々申し訳のように、山崎正和が、当たり障りのないことを言いに出てくるだけだ。
 かといって「読売」をとればとったで不快だし、「毎日」をとればとったで日曜になると丸谷才一先生主催の書評欄を見せられるわけで、積極的にとりたいと思わせる新聞がない。実に困る。よく政治の輿論調査で「無党派層が増えている」などと新聞は書いているが、いっそ新聞の人気も輿論調査すれば「どの新聞も好きではない」層が増えている、ということが分かるだろう。もっとも二流以下の大学生あたりにおいては、そういう高度な話じゃなくて単に新聞を読まないというやつが増えているから、それも困る。だいたい「橋梁談合」がどうとか言っているが、新聞休刊日が同じなのが、談合以外の何だと言うのだ。