どうして男はそうなんだろうか会議 ――いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと ・澁谷知美・清田隆之編    アマゾンレビュー

フェミニズム系男性論
星2つ 、2022/09/26
渋谷や清田らは「フェミニズム系男性論」の書き手だから、本書もそういうバイアスの下で書かれている。私の『もてない男』は、批判したいならすればいいのに(しかも筑摩書房の本で)完全に無視。「セックスの相手がいない苦しみ」を、彼らはいつものことだが「童貞であることをからかわれる苦しみ」に話をすり変えてしまう。ソープランドへ行ってもいいのかどうかという問いさえ出てこないし、坂爪真吾でさえ無視されている。前川直哉が「ホモソーシャル」について修正しているのはいいが(女のホモソーシャルもある)、「ミソジニー」といったら漱石の「こころ」だろうと私は思う。北村紗衣の名も出てくるが、北村のタランティーノ好きには、女は暴力好きでもいいのか?(「ババヤガの夜」とか) という疑念を私は感じるのだが、そういうまずいところには突っ込んでくれない、フェミニズム検閲済みの本である

三進堂書店のおやじ

御茶ノ水駅南側丸善の向かいに古本屋があり、駿台予備校へ行っていたころや大学時代御茶ノ水へ出る時などよく寄ったものだが、ここのオヤジが何とも変な人で、カウンターに座って手でタンタタタンタタとリズムをとり、買う段になると妙に手早くむっつりとした感じで包装をしていた。

 私が行っていたのは80年代だが、妻は2000年代に行っていて、そのころは年齢も70歳近かったせいか、立ち読みしている客に、独り言のように「待っても安くならないよ~」とか言っていたらしい。

 調べてみると2019年にこの吉田治男というオヤジは死んで、店も閉店することになったらしい。私はよく隣の小さい中華料理店で昼飯にチャーハンを食べたりしたが、それは今では大きい店になっているのかな。

小平麻衣子(おだいらまいこ)の<未熟>

小平麻衣子(慶大教授、日本近代文学)が「日本近代文学館」の館報で一ページ分の「配合と組み合わせ」というのを書いているが、何だか文章がぎごちなく、下手である。今度「日本近代文学大事典」の新版が出るので、その項目執筆をしていて、昔自分が書いた項目を見ていたら、「未熟」だと思ったという。ところがその理由が「事実の提示が多いこと」だと書いてあり、「この書き手ならではの独自な切り口」を求める人もいるだろうという話である。

 だが普通に考えたら、若いうちは、若気の至りであれこれ独自の見解を盛り込んだ「事典の項目」を書いてしまうのが「未熟」というもので、成熟してくると、そういうシャバっけは抜けて、サラサラと事実だけを提示するようになるというものではないか。ここでの小平の「未熟」のとらえ方は、普通とは逆である。

 もう15年くらい前だろうか、小平が文藝誌か何かに書いた、衒気満々の難解文章を、私は「第一回悪文大賞」に選んだことがある。当時、NHK講座で「尾崎紅葉」など、当時あまりやる人がいなかった対象を研究していて、好感を抱いていたのだが、その後はさすがに難解文章は影を潜め、実証的な研究をするようになった。しかしまた妙なことを言いだしたものだな、とちょっと苦笑したのである。

小谷野敦

ゴジラ1万2千トンの衝撃

初代ゴジラは、身長50メートル、体重2万トンという設定だった。今では、この大きさの生物が地球上で直立できないことは常識になっているが、そのことはここではひとまず措く。

 1974年ころ、テレビアニメ「コン・バトラーV」で、巨大ロボットコンバトラーVの歌に「身長57メートル、体重550トン」というのがあったが、そのためか、私の若いころ(1980年代)には、ゴジラの2万トンというのは重すぎだというのが常識になっていた。実際、象や鯨と比べても、シロナガスクジラが30メートルで200トンなのと比べたら、いくらゴジラが筋肉質で太っていても二ケタも違うのはおかしいと思った。

 柳田理科雄の『空想科学読本』は、最初の巻(96年)では、ゴジラの体重を「510トン」と算出しており、なるほどそうだろうと私も納得していた。ところが最近出ている新版では、「1万2千トン」と書いてあると聞いて、何かの間違いだろうと思って調べることになった。

 どうやら発端は、山本弘の『こんなにヘンだぞ! 空想科学読本』(2002)で、ゴジラの体重が軽すぎると書かれたことらしい。柳田はウルトラマンについて、860トンとしていて、ウルトラマンゴジラより重いのか、などと散々突っ込んでいた。柳田はこのころには間違いに気づいたと言い、最終的に1万2千トンになったという。山本自身の計算では、初代ゴジラが2100トン、84年ゴジラ(80メートル)が8700トン、91年ゴジラ(100メートル)が1万7千トンとなっており、柳田は果たしてどのゴジラについて1万2千トンと言っているのか分からないのだが、初代ゴジラだとすると重すぎるから、100メートルゴジラのことであろうか。しかしそこからもとに戻ってみると、コンバトラーVは軽すぎるらしい。

音楽には物語がある(45)運動会と音楽 「中央公論」9月号

 前にも似たようなことを書いたが、子供のころ、運動が苦手だったから、運動会の日は嫌だったとか書く人がいる。人形劇「プリンプリン物語」では、メガネくんキャラのカセイジンが、運動会の日はおなかが痛くなって休んじゃった、と言っていた。後者はともかく、前者は、本当に運動が苦手だったのかうさんくさいと思う。なぜなら、運動が苦手な人間にとって嫌なのはまず球技である。しかるに運動会には球技はない。水泳も苦手だが、運動会に水泳はない。

 インベカヲリ★さんという写真家で、ノンフィクション作家でもある人のエッセイ『私の顔は誰も知らない』(人々舎)を読んでいたら、インベさんも運動が苦手で、子供のころドッジボールが嫌だったと書いてあるのを見て、そうそう! と膝を打ってしまった。ドッジボールというのは、いじめ以外の何ものでもない。もしかしたら、この世にドッジボールがなかったらいじめはなかったんじゃないかと思うくらいである。子供のころ私は本当にドッジボールが嫌だった。当てられるのは当然として、当て返すこともできないのである。私が投げた球は、ただへなへなと、球技の得意な相手にキャッチされるだけであった。

 ところが、仲間を発見、と思ったインベさんは、大人になってからは運動が普通にできるようになったという。私が、水泳って息継ぎができないから大変だと言ったら、それは私よりひどい、と言われてしまった。

 しかしよく考えてみると、私は運動会はわりあい好きだったのである。十月ごろになって、ミカンの匂いなどが漂ってくると懐かしささえ覚える。といっても、一家揃って観に来てくれてそこで食べるということはあまりしなかったから、それが懐かしいのではない。むしろ「コロブチカ」とか「オクラホマミキサー」とか「秩父音頭」とかの集団舞踊がわりあい好きだったのだが、それは舞踊が好きなんじゃなくて音楽が好きだったのである。

 小学生当時は、録音装置もなければ、わざわざレコードを買うほどにも思っていなかったから、「トランペット吹きの休日」とか「クシコス・ポスト」とか「道化師のギャロップ」とかいう音楽は、運動会でのみ遭遇できる音楽だったのである。あとはタイケの「旧友」というマーチがあまりに好きで、中学生になったころにそれが入ったLPを買ったら、それ以外がほとんどアメリカのマーチ作曲家のジョン・フィリップ・スーザの曲だった。あと「サンブルとミューズ」というフランスの軍歌も入っていて、そのころ、中卒だった母がNHK学園の通信制高校に行っていて、そこで習っていた歌を歌っているのを聴いたら、同じ曲なのである。これはその曲に阪田寛夫が「誰かが口笛吹いた」という歌詞をつけた歌で、それだけ聴くとちっとも軍歌には思えない。その点、日本近代は「雪の進軍」などはあるが、軍歌っぽいのが多い気がした。

 だがそれから私はクラシック好きになりはしたが、結局は「運動会の音楽」的な曲が好きであり続けている。たとえばメンデルスゾーンの「イタリア」の第一楽章などである。「みんなのうた」でもやっていた「海のマーチ」という、デイヴィッド・T・ショウの「コロンビア、大洋の宝」という曲に小林幹治(一九三三―二〇〇四)が歌詞をつけて「みんなのうた」で放送された曲で、私は小中学校のころこの曲を聴いて以来好きなのだが「かもめ飛ぶ青い空」という始まりは、鷹羽狩行の代表句「船よりも白い航跡夏はじまる」を知った時にたちまち思い出したものだ。

 

「偏平足」の謎

 「ドラえもん」の最初のアニメは、成功せず短期間で終わってしまったが、その主題歌に「偏平足だよ」という歌詞があった。これに限らず昔の言説に「偏平足」を笑いものにするものがいくつかあったが、なんで偏平足というのが笑いの対象になったのか、謎である。

漱石の誤訳?

夏目漱石の「行人」に、メレディスの書簡に書いてある言葉が引かれている。それは、自分は女の魂をつかまなければ愛することができない、私は女の魂をつかまずに愛することができる男がうらやましい、というもので、これを引いた一郎は、自分は妻の魂を掴んでいない、と呻くのである。

 しかし、メレディス書簡の現物を見た私は、これは漱石の誤訳ではないかと思った。これは、メレディスは体調が悪いためインポテンツで、肉体的に女を愛することができない、と言っているところであった。そのことは『夏目漱石を江戸から読む』(1995)に書いた。しかし、これへの反響は皆無に近かった。

 2002年に北海道に住む在野の比較文学者・飛ヶ谷美穂子の『漱石の源泉』という著作が出た。これはメレディスなどの作品と漱石作品との関係を実証的に調べたもので、谷沢永一渡部昇一が妙に高く評価していた。

 ところが飛ヶ谷は、先の「魂で女を」のところは、そのまま漱石の訳でよしとしていたのだ。当時私は『文學界』からこの著書の書評を依頼されたので、そのことをやんわりと指摘した。編集部からは、削除してくれと言われたが、私は重要なことだと思ったので押し通した。飛ヶ谷から反応があればよし、誰かが反応してくれれば議論が活性化するだろうと思ったのだ。

 ところが、比較文学会北海道支部長を務めたこともある飛ヶ谷からは、何一つ言ってはこず、議論も起こらなかった。私はいまだに、これが誤訳なのかそうでないのか、分からずにいる。