漱石の誤訳?

夏目漱石の「行人」に、メレディスの書簡に書いてある言葉が引かれている。それは、自分は女の魂をつかまなければ愛することができない、私は女の魂をつかまずに愛することができる男がうらやましい、というもので、これを引いた一郎は、自分は妻の魂を掴んでいない、と呻くのである。

 しかし、メレディス書簡の現物を見た私は、これは漱石の誤訳ではないかと思った。これは、メレディスは体調が悪いためインポテンツで、肉体的に女を愛することができない、と言っているところであった。そのことは『夏目漱石を江戸から読む』(1995)に書いた。しかし、これへの反響は皆無に近かった。

 2002年に北海道に住む在野の比較文学者・飛ヶ谷美穂子の『漱石の源泉』という著作が出た。これはメレディスなどの作品と漱石作品との関係を実証的に調べたもので、谷沢永一渡部昇一が妙に高く評価していた。

 ところが飛ヶ谷は、先の「魂で女を」のところは、そのまま漱石の訳でよしとしていたのだ。当時私は『文學界』からこの著書の書評を依頼されたので、そのことをやんわりと指摘した。編集部からは、削除してくれと言われたが、私は重要なことだと思ったので押し通した。飛ヶ谷から反応があればよし、誰かが反応してくれれば議論が活性化するだろうと思ったのだ。

 ところが、比較文学会北海道支部長を務めたこともある飛ヶ谷からは、何一つ言ってはこず、議論も起こらなかった。私はいまだに、これが誤訳なのかそうでないのか、分からずにいる。