アマゾンから、マーケットプレイスで買ったものについて店の評価を促すメールが来るようになった。それまでは来ないようにしていたのである。だいたいあんな評価なんてものは、月に一冊くらい買う人がするもので、私のように一日に四、五冊買うこともある人間には、どれがいつ来てどうだったかなんて、やっちゃいられないのである。それでいったん、メールを止める設定をしたのだが、それでも来る。アマゾン宛に、どういうことだ、と連絡したら、止めました、と言う。だいたい止まっていたのが来るようになるのがおかしいのだ。ところがまだ来る。問い合わせると、設定が反映されるのに時間がかかるとか、設定前の注文だとか見え透いた嘘の言い訳をするのだが、その後、明らかに設定以後のものも来た。
 要するにこれ、アマゾンがスパムメールを発信しているようなものだ。今度来たら警察に言うぞ。

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bk1で『現代文学論争』のレビューを見ていたら、珍な一文に出くわした。「画家=性格破綻者、作家=人格者」というイメージがあったが、この本と、××××の『新日本文壇史』を読んで崩れた、というのだ。なんでそんなイメージを持ったかなあ。
 これでふと思い出したのが、1988年ころ『新潮』で千号記念だかで大江、石原、江藤、開高がやった座談会で、これは大江と江藤が一触即発だったから変な座談会なのは前にも書いたが、途中でいきなり開高が、こないだトロワイヤのチェーホフ伝を読んだけど、これがもう、すごい、すごい、と言い出す。何がすごいのかといえば女関係がどうとかいうことらしいのだが、別にそんなことはトロワイヤが初めて発見したことじゃないわけで、大江や江藤は、開高、今ごろ…と哀れみつつ聞いていたのだろう。
 つまり開高は、碌に読書をしてないというわけで、中上健次が、文藝雑誌を一通り見てひどいのに呆れつつ、大江だけが勉強している、と柄谷との対談で言ったのは有名な話だが、久米伝でも書いたように、作家ならまあ若い時は読書するのが当然だが(最近はそれも怪しいが)、40くらいになると、碌に勉強しなくなる作家というのがいる。歴史小説作家なら、調べないと書けないから、まあ歴史以外のことはともかくとして、勉強はするのだが、恋愛小説作家とか、純文学作家には、しばしばこういう、碌に読書しないというのがいる。
 勉強した作家といえば、露伴、鴎外、漱石は当然だが、漱石は『源氏物語』を読まなかった。花袋、芥川、谷崎潤一郎は勉強した。戦後でいえば野間宏中村真一郎堀田善衛はもちろんした。菊池寛は中途から怪しくなる。『日本武将譚』とか、池島信平に代筆させていた。川端も、戦後は怪しい。日本古典以外は碌に読まなかったと思う。安岡章太郎は読書家だ。こういう風に作家を、勉強したかしなかったかで分けるのも面白そうだ。