自筆年譜(小谷野敦)

1962年 12月21日、茨城県水海道市(現常総市)三坂町(三妻駅そば)に生まれる。父建三は時計職人。水海道一高へ行っていたが肺結核で三年病臥し、大学へ行きそびれていた。母清子は中卒で銀行に勤めていた。

1965年 6月、同市森下町に平屋一戸建てを建てて引っ越す。

    市内の二葉幼稚園(キリスト教系)に通う。

1967年 5月、弟が生まれる。秋、交通事故に遭う。
1969年 水海道小学校に入学、担任は海老原昭子先生。
1970年 11月、三島由紀夫事件の数日後、二度目の交通事故にあう。
1971年 4月、埼玉県越谷市に転居、出羽小学校に転校。担任は女性の町田先生。

1972年 4月、担任は男の佐々木先生。

1973年 4月、クラス替えがあり、担任は男の小林先生。人形劇「新八犬伝」が始まり、夢中になる。

1974年 4月、クラス替えがあり、担任は男の田沼先生。
1975年 小学校を卒業、越谷市立富士中学校に入学。「刑事コロンボ」「警部マクロード」に夢中になる。
1976年 夏、米国ミネソタ州ルカンにホームステイ。大河ドラマ風と雲と虹と」をきっかけに原作を読み、歴史小説好きになる。長編漫画『昔今後六名記』を書き始める。天皇制反対論者になり、男女平等主義者になる。

1977年 竹下景子のファンになり、結婚したいと思う。創刊された雑誌『フェミニスト』を買い始める。
1978年 1月、『万延元年のフットボール』を読み、衝撃を受ける。浦和高校受験に失敗し、私立海城高等学校に入学。大江健三郎を耽読し、自分も23歳で芥川賞をとろうと考える。いじめに遭う。ドストエフスキー『白痴』を読むが理解できない。

1979年 クラス替えがあるがいじめの親玉とはまた同じクラス。担任は現代国語の岡部由文(のち就実大学教授。専門は中古国文学)。成績が良くなり、いじめがやむが、他の生徒や教師へのいじめはやまず。アニメ「赤毛のアン」や人形劇「プリンプリン物語」、再放送していたアニメ「キャンディ♡キャンディ」に夢中になる。読書ではシェイクスピアを愛読。川端『雪国』を読むが理解できない。

1980年 川端康成三木卓に熱中する。初めて歌舞伎を観に行く。

1981年 卒業、東大入試に落ち、駿台予備学校に通う。吾妻ひでおが好きになる。

1982年 東大文科三類に入学。第二外国語はドイツ語。同じクラスに岡田直樹、鈴木晃仁がいた。サークル「児童文学を読む会」に入り、同人誌に小説や戯曲を書く。秋、駒場祭コクトーの「恐るべき子供たち」を劇化し演出する。
1984年 東大文学部英文科に進学。授業が退屈で失望する。

1985年 エドワード・オルビーで卒論を書き、楽しいと感じる。
1986年 英文科大学院入試に失敗、留年する。12月、中野里晧史教授が急死する。
1987年 「マクベス」で改めて卒論を書いて卒業し、大学院比較文学比較文化に進学。
1989年 「八犬伝」の英米文学との比較で修士論文を書いて、修士課程修了、博士課程進学。秋より駒場の郵政省電気通信研修所で英語を教える。
1990年 6月、修士論文を修正した『八犬伝綺想』を福武書店より刊行。8月、カナダのヴァンクーヴァーブリティッシュ・コロンビア大学博士課程に入る。

1991年 寮で立命館大学から来た日本人学生たちと知り合う。
1992年 同退学、7月に帰国。
1993年 4月、帝京女子短期大学で英語の非常勤講師。
1994年 4月、大阪大学言語文化部講師となる。12月、シンガポールでの「暗夜行路」会議に出席。

1995年 3月「夏目漱石を江戸から読む」を刊行するが、執筆依頼がなく、うつ状態になり病院に行って薬をもらう。
1997年 4月「男の恋の文学史」となる論文で学術博士号取得。助教授となる。10月『男であることの困難』、12月『<男の恋>の文学史』を刊行。
1999年 1月『もてない男』が売れる。3月、大学を辞職して東京三鷹に住む。明治大学兼任講師。秋、由本陽子と結婚式をあげる(入籍はせず)。12月『江戸幻想批判』を刊行。
2000年 夏、仙台旅行。
2001年 1月『バカのための読書術』刊行。3月『軟弱者の言い分』刊行、記念に岸本葉子と対談。4月、東大教養学部英語非常勤講師となる。「聖母のいない国」(ユリイカ)「日本恋愛思想史」(文學界)連載。5月、『明治の文学・田山花袋』を編纂。
2002年 6月『退屈論』刊行。7月、由本と別れる。11月、『聖母のいない国』でサントリー学芸賞。永福町に移転。12月、駒場で恋愛シンポジウム、金沢の星陵短大で講演。

2003年 6月『性と愛の日本語講座』刊行(『月刊言語』連載)。
2004年 3月、明大を辞職。8月『すばらしき愚民社会』(『考える人』連載)を刊行。9月、アルヴィ宮本なほ子と共訳のハロルド・ブルーム『影響の不安』を刊行。11月、『評論家入門』を刊行。

2005年 3月、『恋愛の昭和史』を刊行。10月、栗原裕一郎らとの共著『禁煙ファシズムと戦う』を刊行。

2006年 6月『谷崎潤一郎伝』刊行。7月、小説「悲望」を発表。続いて「なんとなく、リベラル」を発表。11月、母が肺がんと分かる。
2007年 4月、柴田葵と結婚、浜田山に転居。『文學界』の連載終わる。9月『日本売春史』(『考える人』連載)刊行。12月、母死去。

2008年 5月『童貞放浪記』刊行。12月『里見弴伝』刊行。
2009年 1月『美人作家は二度死ぬ』刊行。3月、東大をクビになる。猫猫塾を開く。4月『東大駒場学派物語』刊行。7月『私小説のすすめ』刊行。映画「童貞放浪記」公開。
2010年 2月『天皇制批判の常識』刊行。5月『日本文化論のインチキ』刊行。10月「母子寮前」発表、芥川賞候補となる。『現代文学論争』刊行。
2011年 東日本大地震。5月『久米正雄伝』刊行。
2012年 猫猫塾を閉鎖。集英社インター事件。12月、父死去。
2013年 2月『日本人のための世界史入門』刊行、15万部売れる。5月『川端康成伝』刊行。
2014年 「ヌエのいた家」が芥川賞候補となる。3月『馬琴綺伝』刊行。
2015年 2月『江藤淳大江健三郎』刊行。8月『このミステリーがひどい』刊行。
2016年 8月、深澤晴美共編『川端康成詳細年譜』刊行。

2017年 3月『芥川賞の偏差値』刊行。7月、35年間喫い続けたタバコをやめる。噛みタバコスヌースをやる。9月『文豪の女遍歴』刊行。11月『純文学とは何か』刊行。

2018年 4月『東十条の女』刊行。12月『とちおとめのババロア』『近松秋江伝』刊行。

2019年 6月、妻が交通事故に遭う。9月、大腸にポリープが見つかり切除する。小池昌代との対談『この名作がわからない』刊行。

2020年 コロナ騒動始まる。3月『歌舞伎に女優がいた時代』刊行。

2023年 7月『蛍日和』刊行。