「これなら私にも書ける」

笙野頼子の「幽界森娘異聞」の講談社文芸文庫版解説は金井美恵子で、同作が泉鏡花文学賞を受賞した時、金沢で催された授賞式で笙野はいきなりある女性作家からおめでとうと握手を求められ、「これなら私にも書けると思った」と言われ、その後で会った金井に憤然としてそれを告げるのだが、その女性作家について金井は、もう一人の受賞者の関係で東京から来たとしか思えなかったと書いているのだが、この年(2003)のもう一人の受賞者は久世光彦で、久世光彦との関係で来たといえば川上弘美であろう。だって川上は久世が選考委員をしたドゥマゴ文学賞を受賞しているんだから。

 ところが金井は金井で、別の、世代の違う女性作家から、「これなら私にも書けると思った」と言われていて、これはどういうことか、と考えている。同作は森茉莉の伝記に猫に関するエッセイをからめて雑然たる印象を与える作だが、金井は、女の作家ならみな森茉莉が好きだから、という結論に達するのだが、私はそうじゃなくて、物故作家の伝記をたどりながら自分の身辺雑記を織り交ぜるという形式なら小説が書けるという意味だろうと思った。なぜなら私もそう思ったからである。

小谷野敦