久世光彦「蕭々館日録」

 久世光彦(1935-2006)は、東大卒で、大江健三郎高畑勲と同年だが、美学美術史卒だからあまり関係ない。TBSに入り、テレビドラマの演出家として「時間ですよ」「寺内貫太郎一家「ムー」などを手がけたが、「ムー一族」の打ち上げのパーティで、出演していた女優と不倫していたのを樹木希林にすっぱ抜かれて独立し、向田邦子の作品を手がけてまた名をあげた。58歳になる1993年に『一九三四年冬ー乱歩』で小説家デビューし、これでいきなり山本周五郎賞をとった。「芋虫」を書いて非難され、一時姿を隠していた時期の江戸川乱歩を描いたものだが、私は読んで面白くなかった。さて、久世はドゥマゴ文学賞芸術選奨などをとったが、『蕭々館日録』は泉鏡花賞をとっている。この時の同時受賞者が笙野頼子である。この作は芥川龍之介の晩年を描いたものらしく、芥川を「九鬼」、菊池寛を「蒲池」とし、小島政次郎を「児島蕭々」として、その児島の五歳の娘である麗子の視点から描かれている。さて、アマゾンレビューに面白い批判があったので、引用する。

「大人の男たちは九鬼さんの〈アトモスフェア〉を、知性だとか教養だとか、兎角難しく意味ありげに考えたがるが、女には一目でわかる。何のことはない、それは〈色気〉なのだ。――この世でいちばん上座に座るのは、文学よりもマルキシズムよりも、〈色気〉だとあたしは思う。」

この「あたし」なる本書の語り手の「女」はいったい何歳か?――なんとわずか5歳である。「アトモスフェア」という英単語どころか「マルキシズム」すら識っており、「色気」の何たるかも心得ている5歳の「女」。かかる著しくリアリティを欠いた馬鹿馬鹿しい設定に興醒めすることのない神経の持ち主だけが本書を読み通すことができる。」

 この「麗子」は九鬼が読んでいる本をのぞき見て、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」だと言っているのだが、この本の翻訳が出たのは1939年のことだから、ここに出てくるのはつまり洋書である。この五歳児は英語すら読めるのである。

 私はそもそも、なんで芥川や小島を変名にするのか、と思う。信長や秀吉を描くように、芥川龍之介、で書けばいいのだ。時代が近いから遠慮したのだろうということは、宮尾登美子も近代では変名を使うことがあるから分かる(「錦」など)

 東大出の久世だから時代考証も細かになされているが、最初のほう、大正天皇が死んで「光文」の誤報のあと「昭和」と元号が決まったところで、児島らが「昭」などという字は見たことがないと話している場面があり、これは、やっちまったなと思った。これは2000年ころ出回っていたデマである。明治天皇の皇后は昭憲皇太后だし、室町幕府最後の将軍は足利義昭だし、「文選」の選者は昭明太子だから、「昭」の字が知られていなかったなどというのは真っ赤なデマである。

小谷野敦