津原泰水と私

 私が津原泰水という作家を知り、いきなり電話で話して面倒なことになったのは、ちょうど十年前、2012年9月のことだった。二歳年下の津原は、当時川上未映子とトラブルの関係にあった。これは2010年に川上が新潮新人賞の選考委員に抜擢された時、津原が異を唱え(芥川賞受賞から三年で、早すぎるというのだろうが、これは私にも異論はない。新潮新人賞又吉直樹の時も同じことをした)。そのあと津原の掲示板や2chに津原への誹謗中傷が書き込まれるようになった、というのが発端らしい。津原は川上とは面識があり、「尾崎翠とか読んだら」と助言したが、川上は尾崎翠を知らなかったとかいうのだが、川上の出世作「わたくし率 イン 歯ー、または世界」(2007)が、津原の「黄昏抜歯」(2044)の盗作だというのは、津原が言ったのではなく、どこかから出てきた噂だったが、津原が自身への誹謗中傷の書き込みを川上、または川上の指示を受けた者の仕業だと考えて裁判に持ち込んだのであった。
 私はある日ツイッターで、「若菜」と名乗る女から「津原泰水さんに訴えられています」という話しかけを受けて、へえそうですかと相手をしていた。すると「烏賊娘」を名のる謎のアカウントがいきなり私をバカにし始めたのだが、これは明治大学出身の男で、津原の手下のようなことを当時しており、津原の川上攻撃のブログの管理をしていたらしい。私は面倒に思ったので津原にメールして、こいつを何とかしてくれと頼んだのである。津原はこの「烏賊娘」をえらくかわいがっていて、裁判で私についての悪口をウィキペディアなどに書き込んだのが「若菜」であることを教えてきた。「烏賊娘」は、川上未映子の仲間から悪口を書かれているのにそいつの相手をしている間抜けだと言っているらしい。若菜は、福島県在住の統合失調症患者だという。ただ、私はさほど興味がなかったので適当にあしらっていたら津原が急に、せっかく教えてやっているのに態度が無礼ではないかと言い出したから、そんなこと言われても私はあなたの川上未映子問題に関心があるわけではないし、困ると言ったら、電話で話しましょうと言ってきた。
 そこで遭遇した津原は、かなり面倒くさい人間だった。まず、私が笙野頼子と戦い続けていることについて津原は、小谷野さんってフェミニストだなあ、あんなのただのババアじゃないですか、と言い出した。そして、「若菜」がかつて川上未映子の裏方であったことを言い、自分への誹謗中傷が川上の指令である可能性を示唆した(結局それは関係ないことが分かった)。私が『ヘヴン』は結構ちゃんと筆力を示していたんじゃないかと言うと、それも何かの新人賞の最終選考に残ったものの書き直しじゃないかと思っていると言い、川上は美人だと思われているが「へちゃむくれですよ」と言った。私はこの発言から、津原は川上が好きなんじゃないかと思ったが、作風から見て津原はゲイじゃないかと思うから違うだろう。当時川上は『愛の夢とか』で谷崎賞を受賞していて、選考委員の筒井康隆は難色を示していたが、私もこの短編集での受賞は無理だなあと思っていた。ところが津原は、かつて芥川賞をとって全盛を誇った川上も今は「影も形もないわけです」と言うので、へ? と思った。津原はこのように、そうであってほしいという願望を事実と取り違える傾向があり、統合失調症人格障害の疑いがあると思った。
 「烏賊娘」が匿名であることについて、津原は、匿名で他人を攻撃するのは卑怯ではないか、という私の意見に賛同してはくれた。だが、自分も「烏賊娘」の実名は知らない、と言う。それならつきあうべきじゃないんじゃないかと私は思った。
 あとは、川上未映子がウェブ上で、映画化に際して書かれた尾崎翠の略歴をパクったとかも言われていて、略歴は著作物じゃないからそんな話は成り立たないのに、と思った。なおこの時、「毎日新聞」で文藝時評をやっていた田中和生が、津原の言い分を真に受けて、時評で川上未映子は扱わないことにするなどと宣言していた。それでいてのちに北條裕子の『美しい顔』が単行本になった時は率先して取り上げていたが、実に田中和生もおかしなやつだ。
 津原は例の「烏賊娘」を、文藝賞の授賞式に連れて行ったことがあると言い、一般人をむやみにそんなところへ連れて行っていいのかと思ったが、津原は「烏賊娘」が高橋源一郎のところへ駆けて行って質問していたのを「かわいいんですよー」と言っていたから、やっぱりゲイなのか、と思った。しかし、私の知らない人間を「烏賊娘」などという変な名前で呼び続けることに、私はむしろ非常識さを感じた。のち「烏賊娘」は例のブログで、別の作家の盗作についても書いていたが、片岡直子がやったみたいな片言隻句をとらえて、似ている、盗作だとするもので、これは明らかに統合失調症だった。そしてのち、津原を裏切って逃亡したらしい。
 当時私は一回目の芥川賞候補と二回目の間で、小説を書いても出してくれる出版社がない、とぼやいたら津原は、文藝エージェントを使えばいい、と言い、自分も『ブラバン』という作品をエージェントに頼んだら、バジリコという聞いたこともない出版社を見つけてきてくれたと言っていたが、バジリコなら知っているし、だいいち私が書いているのは純文学で、津原は通俗作家だからエージェントに金を払ってもやっていけるんじゃないかと思った(執筆依頼を受けて編集者と会って内容について相談したこともあるそうだが、私にはそういう経験はない)。津原は高橋源一郎谷崎賞受賞作『さよならクリストファー・ロビン』に対しても批判的で、それはいいのだが「読んでないのまるわかりじゃないですか」と言うのだが、「読んでない」のは『くまのプーさん』らしく、それはないだろうと思った。あるいは高橋について「でも今じゃ文壇の大御所的な存在でしょう?」と私が言うと、津原は「だって明学でしょう?(高橋は明治学院大学教授だった)」と言うのだが、どこの大学の教授であるかは文壇の大御所であるかどうかとは何の関係もないに近いだろう。こうして津原の言うことはいちいちがズレているのだった。
 あとは私が、『文學界』以外の文芸雑誌には載せてもらえない、とぼやいたら津原は口調に笑みを含んで「小谷野さん、私もですよ」と言ったのだが、私は、だってあなたは純文学作家じゃないでしょう、と思った。あとで調べたら『文藝』にエッセイを書いたことがあったらしいし、その後『文藝』に連載していたから、まあ幻想文学という微妙なジャンルということか、とは思った。
 だが、数日してまた電話がかかってきて、妻のことまで「かわいくてしょうがないでしょう」などと言われてうんざりした私は、もう電話はやめてくれ、とメールして、一時は終わりになった。なおこの時、津原はちくま文庫の自著二冊を送ってくれていたが、少し目を通して、私には合わないと感じて全部は読んでいない。私のほうでは、私が書いたものをこの人は楽しまないだろうと思ったから送っていないと記憶する。
 一方、その年の五月に私は清水博子という作家とメールをする機会があり、清水は、笙野頼子から「川上未映子をいじめたんだってな」と言われ絶交された、と嘆いていた。私は笙野に絶交されると何が困るのか分からなかった。翌年、清水は急逝してしまい、自殺ではとも言われたが、よそで聞いた話では、私は行ったことのない文壇バーで、川上未映子に、出自について問い詰め、バーを出入り禁止になったという。ところが津原は清水と親しかったらしく、その文壇バーで清水の追悼式をやろうとしてもめたという。ところが笙野が「川上未映子とは面識がない」というコメントを出していて、津原はそれに対してツイッターで「ボロクソです」と言っていたのだが、「面識がない」がなんで「ボロクソ」になるのか分からないので、私は引用RTしてそのことは指摘しておいたが、これに関しては津原といえども何も言い返してこなかった。(なおこの件に関して、面識がないなら私が言ったことは間違いだと言った人がいたので、下にそれを説明したブログを貼っておく)
 2019年に津原は、百田尚樹の『日本国紀』にインネンをつけて、幻冬舎から出す予定だった文庫が没になり、ハヤカワ文庫から出すという騒動に発展したが、私は、川上未映子を攻撃しても広い支持は得られないと知った津原が、軽薄な左翼勢力の支持を当てにして騒いでいるとしか思えなかった。すでに百田著には大勢の批判があり、その尻馬に乗って騒ぐ行為は、花村萬月が津原をさして言った「美意識」はまったく見られなかった。
 2020年ころだったか、私がツイッターで「津原やすみは、純文学と娯楽小説の区別がついてないんじゃないか」と書いたら、エゴサーチですっ飛んできて、「分からないので教えてください」と言ってきた。これは、純文学と大衆文学には中間的なものもあるし、重層的に決定されるものだからたくさん読んで判断するしかないし、私には『純文学とは何か』という著書もあったのだが、これに対してはかねて「定義が書いてない」という声があり、津原もおそらく「純文学の定義」を求めてうざがらみするだろうと思われたので、腹をくくって「芥川賞受賞作は読んだことがありますか」と訊いたら、「二、三作は」などと答えていたが、「『万延元年のフットボール』は読んだことがありますか」と言えば「それに定義が書いてあるのですか」などとからんでくるから、少し続けたが、むしろ鬱陶しい「信者」が騒ぎ出して当人よりそっちのほうがうざかった。
 津原は筒井康隆を尊敬しているらしいのだが、筒井の『虚航船団』が「純文学書き下ろし特別作品」であることに気づいて、「筒井さんも色々あったんだろうな」などとつぶやいていたが、筒井は当時「純文学批判」をしてほしかったと批判してきた栗本慎一郎に、そういうことは意図していないと答え、自分には文学への憧れがあると言っていたのだが、それも読んでいないのかな、と思ったが面倒なので放っておいた。
 津原の歿後、津原が推薦する内外の小説リストというのがウェブにあったので見てみたら、なるほど幻想文学寄りではあるが、漱石も、鏡花も、中勘助もあるし、驚いたことに『死の棘』まであった。筒井康隆私小説を批判したことがあるので、『死の棘』もダメなのかなといつも思っていたので、津原にとって『死の棘』がいいんだったら近松秋江だっていいんじゃないかと思った。しかし、大江健三郎はなかったし、内外の古典もなかった(源氏物語や、シェイクスピアホメロス)。近代ものが主だった。
 「信者」にはすまないが、私は津原の小説を評価していない。文章が決定的に良くないからで、しかし信者はこの文章が好きであるらしいから、見解の相違と言うほかはない。たとえば先に出た「黄昏抜歯」の最初の部分だけで全然ダメで、「口を握りこんだ」などという日本語は私は日本語文として認めることはできない。
 

https://dioptase7.exblog.jp/15444222/
(「烏賊娘」と栗原裕一郎のやりとり)
https://jun-jun1965.hatenablog.com/entry/2020/07/30/114332
(面識がなくてもできること)