鈴木貞美と大衆文学

前に触れた「石川淳の世界」は、シンポジウムをもとにしたものだが、最後のほうに鈴木貞美が出てきて、例によって、純文学と大衆文学などという区別は不要だと気炎を上げている。私はこの件で十年くらい前に鈴木と論争したことがあるのだが、鈴木はどうも石川淳が好きで、その作品中に『至福千年』とか『狂風記』とか通俗的な作品があるのでそういうことを言っているだけらしい。鈴木が熱心に研究対象としてきたのは梶井基次郎で、まあ普通に純文学である。「区別など要らない」と言う人は、たいていは世間で通俗とされている作家の擁護者なのだが、鈴木の場合、山本周五郎とか司馬遼太郎とか海音寺潮五郎とか渡辺淳一とか立原正秋とか瀬戸内寂聴とか石坂洋次郎とか赤川次郎とか西村京太郎とか東野圭吾とかそういうのを熱心に読んでいるという感じがしないのである。富島健夫の伝記を書いた荒川佳洋さんがそういうことを言うなら分かるのだが、鈴木よ、あなたはどの程度「大衆文学」を読んでそういうことを言っているのか。

小谷野敦