音楽には物語がある(32)岩崎宏美と真珠湾 「中央公論」八月号

 岩崎宏美は、結婚したあとも活動は続けたが、その頃出ていたCDには、「益田宏美(岩崎宏美)」と、夫の姓に変えた名前が記されていたりしてちょっと妙だったが、それも離婚して元に戻った。

 実力の割に評価されなかった歌手だなあ、と思って、YouTube で当時の映像を観てみたら、あっと思った。衣裳や振り付けが顔に合っていないのである。元来和風の古風な顔だちなのに、音楽がポップスだから、派手な衣装で踊るような振り付けになっている。初期の「ロマンス」でもこの不調和が気になるが、「シンデレラ・ハネムーン」あたりになると、音楽がディスコ調だからそれがさらに激しく乖離する結果になっていた。

 一九八一年の「すみれ色の涙」や、八二年のヒット曲「聖母たちのララバイ」では、岩崎自身が二十三、四歳と大人になったこともあり、しっとりした調子の衣裳と歌いぶりになっているが、もともとこんな風で行けばよかったのである。だが、結局これが最大のヒットになってしまい、結婚、離婚をへることになる。

 この「聖母たちのララバイ」は、歌詞がこの当時の時点で古臭かった。男は社会という戦場で戦って傷つき疲れているから、女が聖母としてそれを慰めるというのは、八二年の段階でも、古臭い男女観だった。七八年に竹下景子が出したデビュー曲「結婚してもいいですか」の裏面が、酒に溺れるダメな恋人に女が「私の膝で眠りなさい」「優しいララバイ、歌ってあげる」という歌詞で、それを思いだしたし、何だかオヤジ受けを狙ったみたいな曲で嫌だなあと当時も思っていた。

 ところがこの歌は、私は今回調べて知ったのだが、大変な裏事情があった。作詞は山川啓介、作曲は木森敏之で、木森は当時三十五歳の中堅作曲家だったが、歌がヒットすると、アメリカ映画「ファイナル・カウントダウン」(一九八〇)の劇中音楽のパクリだとして、作曲家のジョン・スコットが抗議のため来日し、木森が、盗作を認めたのである。聞いてみると、確かに前半部はスコットの曲と同じなのだが、だとすると山川啓介は曲にはめて歌詞を作ったのだろうか。

 この「ファイナル・カウントダウン」は、日本ではヒットも評価もされなかったが、SFアクションもので、現代の原子力空母ニミッツが、突然の嵐に巻き込まれ、真珠湾攻撃直前のハワイ近海にタイムスリップするというもので、カーク・ダグラスが艦長を演じていた。監督は元俳優のドン・テイラーだが、私はこの人が監督した「トム・ソーヤーの冒険」を、小学校五年生の夏休み、母に連れられて弟とともに日比谷の映画館へ観に行き、あまりに退屈だったため翌日弟が熱を出したという経験がある。

 しかし「ファイナル・カウントダウン」は、意外に面白かった。最新鋭戦闘機が一九四一年の太平洋上でゼロ戦と戦い、日本兵一人が捕虜になるのだが、チャイニーズ俳優を使ったらしく日本語が下手で、これが艦内で暴れて銃殺されたりし、ニミッツは日本軍の真珠湾攻撃を阻止しようとするのだが、直前に再度嵐が起きてもとの時代へ戻り、歴史の改変は起こらない。さるにても、一九四一年から八〇年までの戦闘機の発展が、その後の四十年でほとんど起きていないことに気づく。音楽もなかなかよく、それにしてもアクション映画の中に「聖母たちのララバイ」前半のメロディーが入っているとはなかなか気づかないだろう。しかしただでさえ日本人の神経がピリピリする映画から、日本人が音楽の盗作をしてヒットしてしまったとは皮肉な話だ。木森はその六年後、四十歳で死んでいるが、自殺ではなかったようだ。これが一番知られた曲だというところに、岩崎宏美の不運を感ぜずにはいられない。