「足で書く」が苦手

ノンフィクションの世界では「足を使って書く」ということが評価されがちだ。自分であちこちへ現地踏査したり、人に会って取材したり、ということだ。

 学問でも小説でもそういうことはあるが、私は足を使って書くのが苦手である。もともと体が頑丈ではないから足は弱いし、登山なんか大人になってからはしたこともない。94-95年に精神を病んでから飛行機は乗れなくなったし、もともとが出不精だし、他人に取材するとかいうことは苦手で、最後の部分は、手紙を出す分にはいいのだが実際に会うのは何だか怖いし、こういうことは女の人のほうが有利なのである。見知らぬ学者とかが取材に来ても、感じのいい女の人相手だと人はわりと心を開いて話してくれるからで、その点私などはその正反対に位置する。

 大江健三郎近松秋江の伝記を書いても、彼らの生誕地へは行っていないし、「足を使った」と褒められることはまずない。むしろ、現地踏査しなくても書けることを私は書いている。このへんは演劇の批評家を諦めたのとも関係があって、たとえば週に五回劇場へ足を運ぶなどというのは、若いころ実家が東京にある人のように容易にはできなかったし、経済的余裕もなかった。さらに閉所恐怖症でもあったから、演劇も昔のことをぼちぼち調べるくらいしかできなかった。