藤野千夜の長編小説を映画化したものだが、日常SFものという感じで、
中学三年生の女子とその弟が、ある時、ほかは同じなのだが家に両親がいな
いパラレルワールドへ入り込んでしまうというものである。
姉のエリ子を演じるのは、当時十七歳だった多部未華子だが、まがまがし
いまでの美少女である。主演が多部でなかったら凡作になっていたかもしれ
ない映画で、というのは、何とか元の世界へ戻ろうとした姉と弟は、別世界
へ入り込んだ時の行動を繰り返したりするのだが、このパラレルワールド入
りはついに解決されず、両親は突然いなくなってしまったものということに
なるからである。だから観客としては、事件が解決されないで終わった感じを
受けて不全感が残る。
「ルート二二五」というのは、「十五」のことで、姉の年齢を表している。
だが原作では、事件が終わった(というか、元の世界へ戻ろうという努力が
徒労に終わった)あとで、姉が十五歳になるのに対し、映画では事件の最中
に姉が十五歳で、最後に、両親がいなくなったということで北海道の親戚に
預けられたところで、私は十六歳になった、となっている。
つまり十五歳というのを、大人と子供の端境期とみて、その違和感をこの
解決されないSFで暗喩したということになるかもしれないが、成功したと
は言い難い。
舞台となる町は東京郊外らしいのだが、あちこちに親指の形をした大きな
オブジェが建物の屋根に載っている。これは映画のためのものらしい。何し
ろ多部未華子はマニアックなファンがいるから、ロケ地は東京のあちこちと
特定されている。
つまり多部未華子がかわいいということで成り立っているような映画なの
だが、野球選手のテレフォンカードを使って公衆電話から自宅に電話すると
母親が出るなど、古めかしい設定もあって、妙に心に残る映画になった。
最近は映画でも小説でもSFばやりで、この映画はそうでもないが、中には首
をひねるようなものが称賛されていたりするが、どういうものか。