金井先生のお元気をことほぐ

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 金井美恵子先生が「立川談志」の悪口を言いながら、それを「たちかわだんし」と読み違えたり、落語と歌舞伎を混同したりしていて、まあ金井先生は落語や歌舞伎のことはほとんど知らないだろうなと思いつつ、それで谷崎先生の模倣の『恋愛太平記』を書いたりするのはやっぱりまずいだろうと思う。それにしても朝吹のお嬢さんは、丸谷才一に褒められつつその丸谷を罵倒する佐々木中からも褒められたり、島田雅彦の陰謀、じゃない協力?があって受賞したのを島田の天敵の金井先生とも対談したり、まるで二人の母から手を引っ張られる子供のようで、先に手を放したほうが実の母、というのはこの場合も言えるのじゃないか、などと思う。先日大宅文庫で見た『小説新潮』に「初対面」というグラビアがあり、有馬頼義朝吹登水子が写っていたのだがそれが真理子によく似ていて、大叔母でも結構似るものだなと思ったのだが、こんな中平然と朝吹はダメだと言い合っている私と栗原さんって何てすがすがしいんだろうとも思うが、もし万が一何かの間違いで、朝吹さんと対談しませんかという話が来たら、それは仕事だから私などは引き受けてしまうに違いないのだが、そういうことはまずないだろう。
 それはそうと、先日、『一冊の本』で金井先生が、中上健次が『海燕』で円地文子と対談したと書いていたのは、円地の対談集『有縁の人々と』(文藝春秋、1986)に載っている『海』1979年10月の「物語をめぐって」のことではないかと思うのだが、それともその後また『海燕』でやったのだろうか。
 ともあれ、金井先生がお元気で何よりである。

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大貫俊彦の論文「武蔵屋本『傾城買二筋道』発行者識について」(『批評と文藝』2010)を見たら、この諸言は内田魯庵が書いたのではないかとあり、もしそうなら、北村透谷はそれと知って「粋を論じて伽羅枕に及ぶ」を書いたのであろうか、と思ったのだが、今のところ大貫氏は、早稲田の院生か何かであろうか、と分かった程度で、透谷研究者が気づいているのかどうかも分からない。