さて、もうだいたいばれているだろうが、私は川端康成伝を書きあげた。刊行は年明けになる。調査の途中、Fさんという同年くらいの研究者の方の知遇を得た。その後で分かったのだがFさんは大学時代の級友の知人であった。さて『文芸日女道』という同人誌があり、「ひめじ」と読んで、姫路で出している。
http://bunren.himegimi.jp/himebun5.html
 これに森本穫(おさむ)という、今年70になる、元賢明女子短大教授が、川端伝を五年くらい連載していて、Fさんがこれを送ってくれた。ただ、それまで調べたこと以上に大した新事実はなかった。森本は第一回を書いたあとで、羽鳥徹哉の『川端文学の基底』を教えられて読んだ、と書いていて、この羽鳥著は、川端の子供時代に関する詳細な基礎研究なので、これを読んだこともなしに伝記の連載を始めたのか、と呆れた。
 ところが六月、川端研究会で森本に会ったFさんが、私が伝記を書いていて、『日女道』を見せたと言ったら、森本は、自分の40年にわたる研究が私にとられてしまうとでも思ったのか、私宛のメールではいくらか愚痴を言うだけだったのが、Fさんに長い恨みのメールを書いたらしく、「本来なら切腹してわびろと言いたいところだ」とか言ったらしい。しかし、刊行されたものなのだし、新発見などほとんどないのである。私はメールで森本に、平山城児の本など教えたが、どうやら伝記的な主要著作を碌に知らないらしかった。つまり内容は、ほとんど、作品論の連なりなのである。
 で、これで済んだと思っていたら済んでいなかったのである。Fさんは、森本から送られた『日女道』を見ていたのだが、それが以後ぱたりと止まった。ところがこのウェブサイトで分かる通り、531号に「『魔界の住人 川端康成』読者に告ぐ」という妙な一文が載っている。どうもこれが私の悪口らしいので、とりよせてみてたまげた。自分の研究が小谷野に筒抜けになってしまったと愚痴(?)が延々と続いている中に、「小谷野は『剽窃の名人』である」とあって、『久米正雄伝』は関口安義の『評伝松岡譲』を基礎にして成り立っているが、どこにも関口著の題名は出てこない、と書いてあるのだ。まったくの嘘である。私はこの文章を、中央公論新社の編集者にファックスしたら、電話がかかってきて開口一番「これはキチ×イですね」と言われ、妻に見せたら仰天していた。私は森本にメールして抗議し、『日女道』編集部にも抗議のファックスを入れた。なおこの編集部は、上のウェブサイトに載っているものだが、いつ電話しても誰も出ない。そこで「姫路文連」というところに電話して訊いたら、市川宏三という83歳になる人がいる事務所で、留守がちだという。そこで530,531号の分を郵便振替で申し込んだら、電話がかかってきて確認された(ただし、私の名前だと送らないのではないかと懸念したので、妻の名前を使った)。なお中公法務部に相談すると、誰が見てもおかしな文面だし、地方の小さな同人誌だから、これ一つだけでは動くほどのこともないと言う話。
 さて、一日たって、森本から謝罪のメールが来た。そして、私がファックスで送った抗議文を雑誌に載せると言う。私は、そちらの謝罪文も載せてくれ、それからFさんもかなりひどいことを言われているから謝罪するようにとメールした。それが19日のことである。森本は、編集部へ来たファックスを見たと言う。ところが今日の昼になって、謝罪文は勘弁してくれという。それが、編集長と相談したら、編集長は、載せた責任があるから抗議文は載せるが、謝罪文は関知しないので森本と私とで相談してくれと言った、という。だが、ファックスには電話番号も書いておいたのに、編集部からの直接の連絡はない。私は森本に、そんなバカな話はない、普通は謝罪文を載せるものだ、とメールし、編集部にも同趣旨をファックスした。
 さらに、私の『事故のてんまつ』の解釈が森本は気に入らないらしく、どうも532,533でも私の悪口を書いているらしい。
(付記)いま電話した。謝罪文を書くと言っている。
(さらに付記)ファックスで送られてきた私宛の「謝罪文」を見ると「不適切で憶測にもとづく」とあり、編集長に電話をして、「憶測ではなく虚偽ではないか」と言うと、それは『久米正雄伝』なんか読んでないから分からない、と言う。別に全部読まなくてもぱらぱら見れば分かることだ、と言ったのだが、うーうー言っていて埒が明かない。そこで再度森本に電話したら、森本も全部読んでいなくて、あとがきだけ見た、と言うのだ。Fさんに謝っていないだろうと言ったら、驚くべし、私はまだFさんに怒っている、無断で見せた、と言うのであきれ果てた。