木下杢太郎が貰った匿名の葉書 

 木下杢太郎というのは不思議な人で、太田正雄という医師で文学者である。しかし文学史に載っている初期の戯曲「和泉屋染物店」「南蛮寺門前」などという作品をいま読む人はほとんどいない。私はこれらは岩波文庫の復刊で読んだ。あと随筆が岩波文庫に入ったが、その割にむやみと研究が多い。杉山二郎のものは中公文庫、あと野田宇太郎新田義之、沢柳大五郎、小林利裕、そして山河光子『小説木下杢太郎』なんてのまである。
 それで岩波書店から『木下杢太郎宛知友書簡集』なんて二巻本まで出ている。全集に書簡が入っていても、それは本人が出したもので、来簡と併せないとうまく実相は分からないが、こんな来簡集があるのは木の杢くらいではなかろうか。
 その中に、大正3年の年末に来た二通の匿名の罵倒書簡が入っている。
 はじめは12月30日消印、宛名は「狂漢木下杢太郎」で、

狂漢木下杢太郎に告ぐ
 天下天下しやくに障るのは森林と貴様と婦人の友だ、ガラに無い太陽の文藝評論は中止して読者に迷惑をかけるなよ、自分の能力を省みよ、高山先生は泣てるだらふ 手前の態度もしやくにさわるし面もしやくに障らあ

 次が翌日31日づけ、福島県憤激生よりで、

 汝の如きが太陽の文藝評論するとは僭越ならずや、汝には四流たる文士と云ふ自覚なきや、自己を知らざる者はいつも失敗すると云ふ事を知らざるや、右忠告まで

 「高山先生」は明治35年に死んだ樗牛のこと。なお版本では上が「大陽」になっているが、そこまで細かくする必要もないだろう。
 なお杢太郎は、『太陽』大正4年1月号から文芸時評をやっているが、第一回はごく抽象的な文藝理論で、そこで高山樗牛を引き合いに出したものである。

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京大院生がひき逃げで逮捕されたとかいうニュースを京都新聞が流している。実名まで出しているが、轢き逃げといっても相手は死んでいないし、当人が七分後に110番したというのだから、業務上過失致傷で、午前四時なので信号は黄色点滅状態だったろうし、飲酒運転でもないならば微罪であって、実名報道するようなものではなく、京大院生ということで実名報道したものと思われる。すぐに消すかと思ったが消えていないが、京都新聞、これはマスコミによる人権侵害の疑いが濃いぞ。