柴田翔の『されどわれらが日々ー』を原作とする映画『別れの詩(うた)』は、観たいと思っていたのだが、ヴィデオが高値がついていて手が出ずにいた。すると、見知らぬ人からディスクを送ってくれた。そこで観たのだが、「はて、これは」と思ったのは、原作とだいぶ違っているようだったからで、主人公カップルの山口崇と小川知子は遠い親戚ということになっており、原作ではイトコだが、原作では主人公は東大英文科の院生だが、映画では官僚。女のほうが学生運動をしていたのは原作通りだが、原作は六全協のあとで、こちらは1971年だから68年の話のようで、だいたい筋はここに書いてある。
http://home.f05.itscom.net/kota2/jmov/1999_02/990234.html
別に面白い映画ではなく、妙に淡々としている。しかし、高橋長英が琵琶湖の隣の余呉湖という、小川知子との思い出の場所で自殺したというところで、琵琶湖と余呉湖の俯瞰ショットが出るが、これは脚本の橋本忍の、九年後の「幻の湖」につながるものだ。それと、最後のほうで山口崇と小川が、小松左京の『復活の日』(1964)の話をするのだが、監督の森谷司郎は二年後に『日本沈没』を監督し、80年に角川春樹が『復活の日』を映画化した時もやりたがったという。私は『復活の日』は、今一つパンチに欠けるものの、なんか好きなのである。
この映画の題名は、記録では「「されど我らが日々」より 別れの詩」となっているのだが、画面で見る限り「別れの詩」だけだったが、もしかするとビデオ化する際に変えたのかもしれない。
小川知子は当時22歳だが、山口崇はもう35歳である。そういえば先日、山口崇の朗読の会があって、行こうかなと思ったのだが行かなかったら、宮台真司が来ていたそうである。