1924年(大正13)年に畑中寥波らの新劇協会が、岸田国士「チロルの秋」、久米正雄「帰去来」、正宗白鳥「人生の幸福」を上演したのが、秋庭太郎日本新劇史』(1956)以来、10月23日から三日間、帝国ホテル演芸場で、となっており、大笹吉雄現代日本演劇史第一巻』(1985)も踏襲している。私も『久米正雄伝』と、これを観て「恐るべし天才白鳥」を書いた川端康成の伝記でこれを踏襲したが、実は11月3日から三日間であることが分かった。なお「恐るべし天才白鳥」は、川嶋至の「川端康成著述目録」(1963)で「『時事新報』11月7日」とされ、『正宗白鳥全集』(1966)の同作解題で「『時事新報』11月6日」とされ、川端没後の1973年十九巻全集で初めて入ったが、『川端康成全集』(1980-)では初出が確認できず、大笹も同書で、『時事新報』の前後を見たが発見できなかったとしている。テクストは『新潮』翌年二月号の白鳥著広告に転載されているのでそこからとったものらしい。
 なんでかというと「読売新聞」11月17日で白鳥「人生の幸福」特集があり、立花寛一という人が「ありがとう川端康成君」を書いて、公演に行けなかったが翌日、広津君の劇評を見たくて「時事新報」を買いに行ったら川端のこれが載っていた、と書いたからで、ということは川嶋は上演日付を正しく把握していたということか。 
(付記)その後、謎の亀井麻美さんによって、10月23−26日上演のパンフレットが発見され、事態はさらに混迷の度を増した。
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