「いい女」の意味

 川端康成の『雪国』に、島村が「君はいい女だよ」と言って、駒子が怒る場面がある。これの意味が、初読の高校二年の時に、分からなかった。大学生になって、岩下志麻が駒子をやる映画を観たら、「それ、一年に一回通ってきて会うにはいい女だって意味?」と解説して怒っていた。
 だいたいそんな理解のようである。
http://www.linkclub.or.jp/~keisuke/kawabata/yukiguni/yukiguni.html
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 しかし、フランス文学者の高山鉄男の「悲しみと日々 川端康成の作品における自我の構造」(『季刊藝術』1971年10月)には、駒子がこれを「卑俗な意味に解して怒る」とある。卑俗?
 千葉俊二は「ポルノグラフィーとしての『雪国』」(『國文學 解釈と教材の研究』2001年3月)で、駒子は「名器」の持ち主であったと論じている。これは初出を見て分かったとある。
 では高山は、川端生前に、「いい女」が「名器」のことだと駒子が思ったと気づいていたのだろうか。よくよく考えると、そうではない気もする。千葉は「いい女」を名器に結び付けてはいない。とはいえ、最終的にはそういうことになる。
 だが、このことを川端研究者の某女性に言ったら、そんなことは読めば分かると言われたので、私はそのことのほうに衝撃を覚えたのである。恐るべし。