吉田満の『戦艦大和の最期』というのを、私は世間でいうほどの名著だとは思っていないのだが、八杉康夫『戦艦大和最後の乗組員の遺言』(ワック、2005)を見ると、吉田著にはフィクションがあり、退避の際に内火艇にあとから乗り込もうとした者の手を日本刀で切ったというのはありえない、ということ。斬ったのは松井一彦だと分かるということ。また臼淵磐大尉が、日本はこれで負けるが新生日本のためにがんばろうと演説したことも、当時は負ける気などないのでありえないこと。
 八杉は吉田にこの点を問いただしたが、吉田は、あれはフィクションだと恬然としていたという。吉田は1979年に50代で死去している。吉田著がおかしいというのは水交社では言われていたことだそうだから、江藤淳が知らなかったとは思えないのだが、吉田とは交際もあり、占領軍の検閲について追及するのに急で、見逃したとしか思えないのである。吉田は明らかに戦後日本にあわせるために、軍人の横暴やら「新生日本」やらをつけ加えたわけである。
 しかし怪訝に耐えないのは、なぜこれが2005年まで表に出てこなかったのかということである。『戦艦大和の最期』は1994年に講談社文芸文庫版が出ているが、今後どこかで何の注もつけず出すということがあるのだろうか。 
 だが2009年に、臼淵大尉の記念碑が能登町に建てられ、「敗れて目覚める それ以外にどうして日本が救われるか」という『戦艦大和の最期』から引いた言葉が刻まれている。

戦艦大和 最後の乗組員の遺言

戦艦大和 最後の乗組員の遺言