「便所めし」と高橋和巳

 『すばる』7月号に榎本泰子さんが「便所めし」のことを書いている。もちろん榎本さんは「便所めし」などという言葉は使っていないが、榎本さんも、一人で食事をするのが苦手だという。ちょっと意外である。
 そこへ、高橋和巳の『悲の器』の中で、学長室で学長が一人かけうどんをすすっている情景を、主人公が、排泄行為のようだと評する個所が引用される。
 榎本さんは、『悲の器』が、自分が通っていた大学を思わせる学内での、と書いているが、高橋は京大だから違うのではないか。それと、『悲の器』が学生時代に話題になったというのにちょっと驚いた。榎本さんは1968年生で、88年頃東大国文科に進んだはずで、高橋和巳なんて遠い昔の人で、一般的には話題になるような本ではなかった。 
 実は高橋和巳というのは、当時から一部では通俗小説だと言われていたのだが、高橋自身が全共闘シンパだったせいで、純文学扱いを受けていたのである。榎本さんが書いているあらすじを読んで、内容をすっかり忘れていた私は、その通俗ぶりについ苦笑してしまったのである。

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『日本文化論のインチキ』で批判した吉田和久君にこれを送ったら手紙が来た。うーん、吉田君20年前と変わってないなあ。あまり日本文化論を悪く言うと世間はますます比較文学比較文化を胡散臭いと思うとか、私がどういう状況にあるかぜんっぜん理解していない。
 (小谷野敦)