中山茂の『ある科学史家の自伝』を拾い読みしたのだが、下女のいるような裕福な家庭に育ったというのと、東大では不遇でも出版界やマスコミではけっこう優遇されていたし交友もあったと知り、少し同情心が薄れた。
 というか、そのへんあまり自意識がないような気がするのは、ブログ連載の時から思っていたことである。また、科学史科学哲学から忌避され続けたとあって、大森荘蔵伊東俊太郎、あと木村陽二郎が出てくるのだが、中山よりあとから来た村上陽一郎廣松渉がまるで登場しないのは何でであろうか。