『週刊文春』に中村うさぎさんが裁判敗訴について書いていたが、控訴するらしい。
私はもちろんうさぎさんの味方である。だが、なぜ負けたかも分かる。原告はうさぎさんの本で自分のことが書かれたのを喜んでブログにも書き、宣伝活動をしたが、版元に「モデル料をよこせ」と言い、断られると提訴した。私としては、この時点でうさぎさんが自腹を切って払っておくべきだったと思う。
で、私はむしろ相手方弁護士の名前に関心があるのだが、それはともかく、なぜ負けたかというと、原告が××××だからである。資料を見ないから推測だが、正常な判断能力を持っていないという主張で、これは裁判所ではかなり強力なのは、刑法39条とのからみもあるかと思う。
ただ裁判になっても、和解すべき事例だと思う。
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『川端康成伝』118pに、帝大の学生らが、まだ無名の岡田嘉子らを迎え、清野暢一郎、北村喜八が中心になって劇の上演をしたというのがあり、演目を、ストリンドベリ作、鴎外訳『首陀羅』としている。
最後の校正をしていた時に、深澤晴美さんが当時の新聞を調べたりして、演目が違っていると教えてくれた。だが、それは七月に出る深澤さんの論文に出るのだから、私が先に書いてはいかんし、もう最後のぎりぎりで、これ以上の修正は勘弁してくれと言われていたので、見送った。
だが、出てからもなお、深澤さんは、秋庭太郎の『日本新劇史』にも書いてあるから修正できる、と言うのである。しかし、秋庭の本に出ていても、それを川端伝の中にはめこんだのは深澤さんなので、私としては深澤さんの論文が出る前には修正したくないのである。こういうプライオリティーというのはどうなっているのだろう。
(小谷野敦)