ウィキペディア管啓次郎の項目が気になる。大言壮語的に見えるのだが、引用してあるため、コードに引っかかっていない。つまりウィキペディアの基準では、誰かが褒めているのを引用しておけば、それは客観的事実ということになるのだが、それが「お仲間」の絶賛となると、果たしてそういう褒め文章があるのが事実であっても、客観的といえるのかと思うのである。別に管に限ったことではなくて、ほかの人物でも起こりうることである。大江健三郎くらいになると、褒めている人と批判している人と双方引用すればいいが、管くらいの人になると、別に批判するほどのこともないので、ただ絶賛の言葉だけがある、ということになってしまい、果たしてそれほど絶賛されるほどの人かという検証とか異論とかは、出てこない。

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世界史だが、「高校でとらなかった」ということがそんなに重要だとは思わなかったよ。私は世界史、日本史で大学受験したが、地理は一年の時やったし倫理社会も受けていた。理科は生物、化学だが、物理は一年の時にやったし、地学は天文と地質学かな。高校でとろうがとるまいが、その後ぼちぼち本を読んでりゃ学ぶからなあ。