山川菊栄のアイロニー

 山川菊栄というのは、社会主義の女性解放論者である。夫は山川均。戦後は労働省の婦人課長を務めたが、自由党政府の下だからいろいろやりづらかったようだ。
 だが、その山川の著書で、岩波文庫に入っているのが、鈴木裕子が編纂した女性解放論集のほかは、『武家の女性』『わが住む村』『覚書幕末の水戸藩』である。山川はもと青山姓で、水戸藩の下層武士の家に生まれたのだが、『武家の女性』『わが住む村』は、1943年の著作である。つまり戦時下のもので、社会主義的なことが書いてあるはずもない。『武家の女性』の解説は、芳賀徹である。もちろん、保守派の比較文学者であるから、武家の女性の質素倹約、貞節の生活をいつくしんだ解説なのである。『わが住む村』のほうは鹿野政直。『山川菊栄集』に収められ、岩波文庫に入ったのは、いずれも山川の没後のことである。
 あと平凡社東洋文庫に『おんな二代の記』という、母と自分との伝がある。つまり山川は、本来の極左的思想とは違う書きものによって世に知られているのである。実際戦後の山川は、柳田國男に半ば師事すらしていたのである。『武家の女性』の岩波文庫の表紙には「庶民生活史」とあるのだが、武士は庶民ではあるまい。いくら下層でも武士は武士である。どうもこういう書物が、近世美化に寄与しているかと思うと、果たして山川が生きていたら、これらが自分の代表的著作として読まれていることを喜んだろうか、と疑問に思わざるを得ないのである。 

武家の女性 (岩波文庫 青 162-1)

武家の女性 (岩波文庫 青 162-1)

わが住む村 (岩波文庫)

わが住む村 (岩波文庫)

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平川上皇にはおかしな癖があって、ある本を褒めたりすると「でもアメリカの書評ではずいぶん悪く言われていたよ」とか、「チェンバレンはアーサー・ウェイリーも批判していた」とか言うのだが、書評でよく言われたとか誰が批判したとかいうことは、それは何の基準にもならないので、その批判とかの内容を吟味して自分で判断するしかないのである。こういうのは「権威主義」としか言いようがなくて、それはやっぱり東大名誉教授だからなのかなあ。
でも大江健三郎ノーベル賞とったのは大いに気にいらないのだよね。