田中英道の本を読んでいて、支倉常長について論争があることを知った。いや、ちらりと耳にしたことはあったのだが、別に興味がないので放っておいた。
支倉常長といえば、江戸初期に、伊達政宗の命でローマへ派遣された人物として有名である。私は観ていなかったが大河ドラマ『独眼竜政宗』ではさとう宗幸が演じている。しかしこの人物は、明治後期になるまで、まったく無名だった。明治42年に仙台の堀田信直が『伊達政宗欧南遣使始末 一名・支倉六右衛門羅馬派遣事略』を刊行して、その頃けっこうブームになったのである。明治45年に松竹の懸賞脚本で「伊達政宗」が当選して、左団次が政宗を演じたのだが、幕切れは政宗が支倉を送りだして「ローマへ」と言って天を指さす場面だったという。この時支倉を演じたのは市川寿美蔵(利倉幸一『続々歌舞伎年代記 坤』)
1941年には演劇評論家の利倉幸一による『支倉常長考』が出て、1975年に顕彰会による『支倉常長伝』が出ている。それからあと、どんどん増えて行くのだが、この論争に関わりがあるのは、次の書物である。
1987 松田毅一『伊達政宗の遣欧使節』新人物往来社
1992 松田『慶長遣欧使節 徳川家康と南蛮人』朝文社
1994 田中英道『支倉六右衛門と西欧使節』丸善ライブラリー
大泉光一『慶長遣欧使節の研究 支倉六右衛門使節一行を巡る若干の問題について』文真堂
1998 大泉『支倉六右衛門常長 慶長遣欧使節を巡る学際的研究』文眞堂
1999 大泉『支倉常長 慶長遣欧使節の悲劇』中公新書
6月『正論』で田中が大泉を批判
太田尚樹『ヨーロッパに消えたサムライたち』角川書店、のちちくま文庫
2001 田中『歴史のかたち日本の美 論争・日本文化史』徳間書店
2003 五野井隆史『支倉常長』吉川弘文館・人物叢書
2005 大泉『支倉常長 慶長遣欧使節の真相 肖像画に秘められた実像』雄山閣
2008 大泉『捏造された慶長遣欧使節記 間違いだらけの「支倉常長」論考』雄山閣
2010 大泉『伊達政宗の密使 慶長遣欧使節団の隠された使命』洋泉社、新書y
田中『西洋と日本の対話』講談社サービスセンター
だいたい、私はこんなに本が多いことに驚いたのである。支倉は、イエズス会系のキリシタンに勧められてカトリックのイスパニアをへてローマへ行ったものの、通商条約はうまくいかず、徳川幕府はキリシタン禁令を出して鎖国へ向かっていたから、帰国後も失意のうちに世を去ったということになっている。
さて、政宗が実は西洋諸国と結んで徳川幕府を倒すという野望を秘めて支倉を派遣したという説は明治時代からあった。長部の小説もそれをもとにしているが、もちろん松田毅一などは一笑に付している。対して、強くこれを主張しているのが大泉である。大泉光一(1943- )はちょっと経歴の変わった人で、普通に公開されている履歴を見ると、メキシコで大学院へ行き、いきなり日大で博士号をとっていて、どこの大学を出たのか分からないが、実はメキシコの大学らしい。それで危機管理が専門でそういう著書がたくさんあり、日大教授もしていた。支倉はメキシコへも行っているから思い入れが深いらしく、次男には常長の名をつけている。大泉は今は青森中央学院大学教授で、常長(1974- )はそこの准教授で、やっぱり経営危機管理が専門らしい。
田中英道(1942- )は東北大名誉教授の美術史学者だが、五野井(1941- )は東大史料編纂所名誉教授である。みな同年輩だ。 松田毅一 (1921-97)は物故者だが、南蛮時代の専門家である。五野井もキリシタン史が専門。五野井も、倒幕の密使説は否定している。
ならば、大泉の倒幕説とそれへの否定で論争になっているのかというとそうではないから奇妙なのである。田中はまあ、パトリオットであるから、支倉が悲劇的な最後を遂げたというのが納得いかず、それなりに栄光ある行為をしたのだと主張して、松田も五野井も大泉も批判しているのである。99年に大泉の中公新書を批判したのは、2001年の本に載っているが、西洋人が支倉らを見て立派だと褒めた文章をなぜ引用しないかと妙ないちゃもんをつけたものである。自虐だというのだが、変な話である。
それで田中は、支倉の肖像画を分析して、立派だった、と言うのだが、それをさして、捏造だと言いだしたのが大泉2008なのだが、田中2010はこれに反論して、あまりにお粗末であると言っている。
しかも大泉2005が、和辻哲郎文化賞をとったため、仙台博物館館長だった濱田英嗣が批判したわけである。倒幕説はNHKでもやったのだが、大泉は自説と根拠が違うのでこれも批判している。多分自分が監修に与らなかったから批判しているのだろう。
つまり松田や五野井がまともで、田中と大泉が、それぞれ変だというのが実相なのである。大泉のほうは分かりやすいが、田中のほうは何とも理解に苦しむ。支倉が何をしたかという事実だけがあるのであって、それが失敗だったか栄光だったかというのは、そりゃ主観的なものに過ぎない。ただ理解に苦しむと言ったのは言葉の彩で、私は平川先生を知っているからよく理解できる。この人たちは、日本人が西洋人に褒められるということをものすごくありがたがるのである。私にすれば、西洋人が褒めようが貶そうがどうでもええやないかと思えるのだが、すごく気にするのである。ここに、もともとフランス文学専攻だった田中、平川といった人の、西洋崇拝がかいま見えるのである。