遊びへの恨み

 「遊びをせんとや生まれけん」というのが去年の大河ドラマのライトモティーフだったが、しっかしみんなこの一節好きだよねえ。室町時代あたりを舞台にした小説や漫画にどのくらいの率で登場するかと思うくらい。
 私は子供のころ、外遊びが好きでなく、家の中で漫画を読んだり、描いたり、テレビを観たりするのが好きだった。おかげで伯母から「遊ぶ楽しさを知らない子なの」などと言われてしまった。だから「遊び」とかいう言葉に対して不快感を感じるのである。もちろん、私は家の中で「遊」んでいたのである。だが世間は、体を動かすのが遊びだという体育会の系譜をひく考え方にとらえられているのである。現にこの『梁塵秘抄』だって、「遊ぶ子供の声聞けばわが身さえこそゆるがるれ」と、動き遊びを示唆している。 
 あと平清盛が「面白いことがしたいのう」とか言うのだが、もうこれは、「若者」を描く歴史ものの定番せりふである。そこでは、天真爛漫な若者を描きたい、政治になんか興味がない、ってな若者を描きたいが、いずれ政治に関わるから、さてどうしたものかというので「面白そうじゃのう」かなんか言って関わっていくのである。なんかね、ストリップを覗くのに「いや、社会勉強で」みたいな、いいわけ? するみたいな、女を口説くのに、君がかわいいからとは言えないで、「いや、面白い人だなーと思って」とかしらじらしい言い方するみたいな。 
 だから藤原頼長とか好きなんだよね。学問やってて、政治的野心があってと。