「本の山」の土屋くんがやたらとひろさちやを読んでいるので、私も図書館で何冊か借りて読んでみた。すると、基督教も仏教も恋愛なんか勧めていない、むしろやめろと言っている、などと正しいことの書いてある本もあったが、いい加減な本もあった。『どの宗教が役にたつか』(1990)はまあ昔の、日本文化論がはやっていたころの本だからしょうがないが、西洋人に「無神論者です」などと言うと相手は驚く、という当時はやった話が出てきて、別に西洋人が驚いたっていいじゃないかと思うのだが、それはいい。
 『「無関心」のすすめ』は、最後のほうで、親鸞系によくある「そのまんまでいい」が出てくる。さて、評論の中には、前もって反論を予想して書いている人がいるのだが、それがたいていは私が考える反論ではない、という特徴があって、昔の本だと特にそうだ。梅棹忠夫の「妻不要論」などもそうだった。
 ひろも、最後に、「今さえ楽しけりゃいい」と言って、そんなことを言うと、そんな無責任な、と反論されるかもしれないが・・・と論を進める。なぜかそこには「楽しくないんですけど」という反論はない。それは当然で、ひろはここまで、生きているだけで幸せなのであるという抹香臭いことを言い続けてきたからで、これは仏教評論家のよくやるペテンである。さらにひろはこの本で、他人のことになんか構わなくてよい、と言っているのに、一方で、アメリカ政府は大嫌いだ、すべてアメリカが悪い、と脳天気ななんリベぶりを発揮している。無関心じゃないんですか? と言いたくなる。