大岡昇平の『幼年』を読んでいたら(これは面白い)、「糖福米福」というのが見つかった。日本のシンデレラだが、「糖」は「糠」の誤植である。
さて誤植とか間違いがない本を作るのは難しい。しかし、売れて版を重ねれば、その都度直していけるからだいたいなくなる。(内容について著者本人が間違っているのは問題外とする)気の毒なのは、増刷しない本の誤植を指摘することで、これはもう直しようがないのである。ただ現在では幸いブログとかウェブサイトがあるから、そこで訂正を出せる。
そこで、最初から間違いなど皆無にするにはどうしたらいいかというと、そりゃ時間をかけるのである。一年かけて見直しをしたら、間違いはほぼなくなる。だが、実際にはそんな時間はかけていられないのが普通である。一生に一冊というような大著を学者が出すという場合なら、それもあるだろうが、文筆業ではそんなことはしていられないのである。
あるいは、映画とかドラマで、シナリオにカネと時間をかけて練るとどうか、ということもある。ただこちらは、時間をかけたから面白くなるとは限らない。だが、娯楽ものであれば、面白くなる確率は高まる。優秀な人の時間というのはカネである。しかし時間をかけたからいいとは限らないこともあって、宇野千代の『おはん』など、短編なのに十年かけたが、十年かけただけのたるみが見えてしまう。
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映画「わが母の記」に瀬川という編集者兼運転手が出てきて、主人公の娘の宮崎あおいとちょっと恋仲だったりするのだが、最後に母親の死の知らせを受けるのが、主人公が文学賞の選考会から帰ってきたところで、宮崎あおいが「瀬川君に受賞してあげた?」と言うと役所広司が「満場一致だよ」と言う。いったい誰だろうと思って原作を読んだら、1973年11月の野間文藝賞の選考で、受賞したのは大江健三郎だから、この瀬川君というのが映画だけのフィクションであることが分かった。
別にいいのだが、私だったらとてもこういう、現実をゆがめたシナリオは書けない。