恐怖の剽窃論争

 安田寛(1948- )という人の『バイエルの謎 日本文化になったピアノ教則本』(音楽之友社、2012)を栗原裕一郎が紹介していたので覗いてみた。フェルディナント・バイエルという、日本でピアノ教則本で名を知られる人について、不明な点が多いというので調べた本である。最初は、仮名とか架空の人物とかいう説すら飛び出すが、要するに作曲家として大した人じゃなかったということで、従来の1803年生というのを1806年生に訂正している。
 しかしどうやら、論点をまとめただけだと一冊の本にならなかったらしく、著者の探索の過程を探偵日記風に書いていて、ドイツへ三日の予定で行ったら文書館が万霊節で休みだったとか、手もちぶさたに図書館にあったパソコンにフルネームを入れてみたら出てきたので興奮したら同名の建築家らしいのでがっくりしていたら本人が家の建て替えに出した書類だったとか、晴れたとか曇ったとか、司書が助けてくれたとか、事細かに書いてあって、ちょっとした奇書であった。
 安田は奈良教育大教授だが、国立音大声楽科卒、同大学院で音楽学を学び、弘前大などをへて2001年現職という変った学者で、そのせいかドイツ語もさほど出来るわけではないらしく、これまでは英語圏からの讃美歌の輸入などを調べていたらしい。
 しかるに、サイニイで調べていたら、手代木俊一(1948- )という人と、肌に粟立つような剽窃論争をやっていた。手代木は同年だが、中央大学文学部卒で大学院へは行っておらず、大学図書館の職員をしてきた人だ。単著は1999年の『讃美歌・聖歌と日本の近代』(音楽之友社)だけで、そのあとがきを見ると、二人は90年ころ知り合い、共同で近代日本の讃美歌類の研究をしてきたらしい。中村理平(1932-94)が先達で、この人は文化学院出身の研究家だが、62歳で死んだあと、手代木、平高典子、松下釣の三人が遺稿を整理したという。なお手代木があげている研究会(1994)は、加納孝代が主宰し、芳賀徹榎本泰子、平高といった東大比較文学の人たちも参集、手代木に韓国の研究家閔庚申燦を紹介したのは川本皓嗣だというが、私は全然知らなかった。このあとがきで手代木は、安田にもかなりの謝辞を捧げている。
 ところが2004年に、いきなり手代木と安田の剽窃論争になる。「(転載) 論文への道 先行研究、引用資料とはなにか 安田寛氏への公開質問状」手代木俊一『キリスト教社会問題研究』2004-12 は、『Reed organ research』2002年11月に載ったものの転載で、同誌10月号で安田が、手代木の本は自分の本を写して書いたとか、「自分は唱歌の伝道者などと呼ばれているが、最近は偽物の伝道者も現れた」とか書いたことへの抗議文で、結局この号に、安田の反論と、手代木のさらなる反論の三つを載せることになったものである。

1、手代木 http://doors.doshisha.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=BD00005327&elmid=Body&lfname=002000530005.pdf&loginflg=on
2、安田 手代木俊一氏の公開質問状への返答
http://doors.doshisha.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=BD00005328&elmid=Body&lfname=002000530006.pdf&loginflg=on
3、手代木 安田氏「手代木俊一氏の公開質問状への返答」への再反論 
http://doors.doshisha.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=BD00005329&elmid=Body&lfname=002000530007.pdf&loginflg=on
 だが、実際には安田による手代木への攻撃は、手代木著の書評(2001)で既に始まっていた。

キリスト教史学会学術奨励賞受賞『讃美歌・聖歌と日本の近代』を読む 唱歌キリスト教宣教との関係についての研究史の紹介のために」安田寛『弘前大学教育学部音楽科教室』
http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/1570/1/AN00211590_85_79.pdf

 とにかく読んでいて悲しくなるのだが、どれこれの資料は俺が見つけて教えたものだとか、俺が先に発見したのだとか細かな攻撃が多い。しかし手代木著には安田への謝辞があるのだから、あまり細かいことをあげつらうのは変で、安田のほうがおかしい、と思えるのは「2」で、「その点については第二刷で訂正してお詫びしてある」(大意)「Tも研究者なら拙著をチェックしてから発言してほしい」とあるその居丈高さで、いったい第二刷での訂正などというのは、誰かから教えられなければ気づかないもので、この文はまったく不要である。
 その後の、佐藤秀夫なる人の説を、あたかも自説のように安田が新聞に書いて問題になったという点の弁明がどうもおかしい。99年から2001年までの間に、あるいは潜在的にそれ以前から、何か安田とその周辺であった、と見るべきであろう。この安田なる人、アマゾンで『バイエルの謎』を褒めたレビューにコメントしている。お前が言うなと言われそうだが、私は反論はするが、アマゾンで褒められてコメントしたりはしない。
 まあ、一緒に研究をしていた人がこういう関係になるということは、学界ではよくあることである。