国家公務員というのは国家の一部である。したがって「人権」はない。ただしこの場合の「人権」は、対国家における国民の権利のことである。もちろん皇族には基本的人権はない。
では公務員は「私人」たりうるのか。私の認識では、公務員は一年三六五日、一日二十四時間、私人たりえない。総理大臣が意識を失うとこれは一大事である。とはいえ、その辺の公務員が意識を失っても問題にはならないが、「私人としての発言」というのはありうるのだろうか。私は、ないと考える。ただし法学上でも決定したことがらではない。総理大臣が靖国神社へ「私人」として参拝する、というのがあったが、仮にお忍びでたった一人で参拝しても、それは「私人」ということにはならない。ただ、お忍びで参拝したら誰も気づかないという、それだけのことである。公務員だった時代の国公立大学の専任教員(文部教官)も同じことである。ただこのことは理解されていないし、政府ですら理解しているかどうか疑わしい。戦後の日本では、東大教授がマルクス主義者であっても別に問題にはならないが、どの政党であれ政治家の活動を支援するのは許されない。
ヨコタ村上は国立大学法人の職員であるが、訴訟の相手方はその法人である。これは準国家であるから、ヨコタ村上は裁判所から優遇されることになる。仮に私立大学であれば、「うちの大学は女子院生と研究室でセックスしたら処分する」と言えばそれで通ったかもしれない。信州大で合意の上で女子学生とつきあっていて解雇され、大学を提訴した事件も、
http://blog.livedoor.jp/damekyoshi/archives/527046.html
争えば准教授が勝っていたであろう。これは時代の流れとして、成人である女子学生と教員が性関係を持ってもいい、という方向にあるためと考えられる。これはかつての青山学院大の春木教授が強姦罪で処罰されたのとを考えると隔世の感がある。ヨコタ村上は、セックスのあとで女子院生から来た親しげなメール(デートの誘い)を証拠として提出しているから、事実認定ではこれが決定的だったと思われる。よく保存しておいたな。
阪大が控訴したのかどうか知らないが、これが確定すれば、合意の上なら成人学生とは研究室でセックスしてもいい、ということになるわけだ。
色男の勝利である。