ミシェル・トゥルニエとか

 トゥルニエの『フライデーあるいは太平洋の冥界』は、私が大学へ入ったころに翻訳が出て、ちと気になっていた。『ロビンソン・クルーソー』の書き直しだが、原題は「フライデー」ではなくてフランス語だからvendrediである。その頃「クイズダービー」で篠沢教授が『ロビンソン・クルーソー』関係の問題に正答したので、巨泉が「教授、イギリス文学なのに何で分かるんですか」などと訊いていたが、そりゃトゥルニエを読んだからだろうよと私は思った。
 しかし現物はそれから四半世紀、読むことがなく、今回古本を入手して読み始めたが、つまらない。『ロビンソン・クルーソー』をフライデーの視点から描いたというあたりが、いかにもポスコロで、今となっては「ありがち」だが、実際には、筋自体は『ロビンソン』と同じで、フライデーなんて三分の二くらい進まないと出てこない。途中に哲学的思弁が多くて、私は小説というのは哲学を読む場所ではないと思っているからどんどん飛ばしたが、結局面白くも何ともなかった。
 篠沢教授は、ヌーヴォー・ロマンは下らない、と言う人だから、何を言っているかと思って『篠沢フランス文学講義』を見たら、無視されていた。調べたらトゥルニエドゥルーズの友人で、あんなインチキ哲学者の友人では面白いはずがないと思った。
 もう、20世紀のフランス文学というのは、プルースト以降はむやみとつまらないのは、どういうわけであろうか。映画だってそうで、フランスやイタリアの恋愛ものなんてのはだいたい男女が出てきて、雰囲気がアンニュイで、それだけである。『旅情』とか、『男と女』とか、みんなそんな感じ。アントニオーニの『情事』だってそうである。マルグリット・デュラスなんてのも、そんなに面白いかね。『愛人』とか、なぜあんなに騒がれたかというと、フランス人の美少女とアジア人、ということで騒がれただけだろう。中身は大したものではない。
 あと映画では『天井桟敷の人びと』とか『大いなる幻影』とかもつまらない。何でこれらが名作扱いされるのであろうか。

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ヨコタ村上孝之は、シラバスに名前がなくなっているが、大学のウェブサイトにはあるから、停職かと思うが、早く発表してほしいものである。「ドラゴン出版」って何だ? 

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石原慎太郎の『わが人生の時の時』を読んでみた。私はスポーツ嫌いだから、違和感はあったが、しかし昨今の芥川賞受賞作などよりはよほど面白い。石原をバカにする人はとりあえずこれを読んでからにしたほうがいいと思う。

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「リトル・ピープル」ってこれのことだよ。
http://homepage1.nifty.com/charbeljapan/

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http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091007-OYT1T00448.htm?from=main7
その程度のことをいちいちニュースにするなよ読売。通報する奴も通報する奴で、もうナチス的相互監視社会になっているじゃないか。
 (小谷野敦