久米正雄伝補遺)
 島為男(1891-?)『宮本百合子-抵抗に生きた大正精神』(桜楓社、1967)に「久米正雄の百合子へ書いたラブレター」という節がある。久米が百合子へ恋文を書いて、中条家から出入り差し止めになったことは、有名な話、とあるが、当時は手紙の現物も見つかっていない。しかしこの島という人の閲歴は不明で、没年も分からない。しかも島は久米が、小説に書いていると言っているが、「彼女と私」を読んでいないらしい。さらに百合子の日記のうち、久米の徴兵検査のところだけを引いているが、他は言及されていない。
 しかも参考文献などが書かれていないから、いつ恋文を出したかも分からないで、多分母親が見つけて破り捨て、久米を出入り禁止にしたのだろうと書いている。当時どの程度の情報があったのか、ちと分からない。

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ツイッターで断片的に書いたので何だ何だと思っている人がいるかもしれないので、「かわいそうなぞう」批判に触れておく。これは児童文学者土家由岐雄の作だが、1981年、児童文学評論家の長谷川潮がこれを批判した(『教科書に書かれなかった戦争 pt.31 戦争児童文学は真実をつたえてきたか 長谷川潮評論集』梨の木舎 2000.9)。よく知られている通り、空襲のため動物園の猛獣が逃げ出して町へ出たら大変だというので動物たちは殺されたわけだが、それが1943年という、まだ空襲が激化していない時期であったことを長谷川は問題にし、それはむしろ大きなニュースとしてとりあげられ、日本人全体に危機意識を高めるためのものであった、とする。
 しかし、実際にその後空襲は激化したのであるから、いずれそういう措置はとられただろうことを考えれば、「かわいそうなぞう」は、事態を単純化しつつ、ことがらの本質を失ったものとはいえない。しまいに長谷川は、本当にかわいそうなのは象ではなくて人間だ、と言うのだが、そんなことは誰だって分かっている。だから、いちゃもんにしか見えないと言ったのだ。
 ほかの箇所で長谷川は、戦前からの作家である土家が、戦争をあおる作品を書いていたことを指弾しているが、こういう「批判」が阿呆らしいことは、現在では常識であろう。そういう作品を書かなければ食えなかったからである。戦争の悪を描きさえすれば一定の評価を受けてしまうような戦後日本でこんなことを言うのはずいぶんな偽善ではないかと、私は思うだけだ。

 (小谷野敦