わが本の運命

 私のところへ、本が送られてきたりする。その多くは、現在かなりのスピードでブックオフへ行く。むろん、知らない人の本を編集者が送ってきたものの多くは、中も見ずに直行であるが、知人から来たものですら、一か月ほどの運命である。むろん、持っていたいと思う本は別である。
 なぜかといえば、置いておくスペースがないからである。下手に居間に置いておけば、妻から邪魔もの扱いされ、処分するのである。昔は、いったん実家へ送り、一、二年をへて、これはいいやと思ったら売ることにしていたが、母が死んでからはそれもできなくなり、かつ実家すら置き場所がなくなってきたので、こないだ大量に売った。そしてマンションのスペースはかつかつなので、そういうことになる。
 私にとって、本というのは、びゅんびゅん通り過ぎていくものであって、古書店から買っても、あ、こりゃいかんと思いかつ比較的新しい本ならブックオフ行きである。いまテレビでサトエリが蔵書票を作るとか本棚にきれいに並べるとかやっていたが、ふわああーのどかなことだなあと思ったことである。
 かつて吉本隆明は、埴谷雄高が、自分の寄贈本を売りとばした、と言ったが、埴谷は否定した。否定しなくても、うちは狭いんで、と言えば良かったのにと思った。 
 老人学者などは、スライド式の書庫を持っている人もいる。しかし、かつて磯田光一宅にそれがある写真を見て不思議に思ったのは、磯田は五十過ぎて東工大の教授になったが、30代半ばからフリーだったはずだからで、松戸だからかなあ。