石原千秋が、「産経新聞」の文藝時評で、芥川賞選評の、最初に出た分の「自己批評の欠如」について、批判している。ありがたい。
「自己批評が欠落している」という評価は、小説の表現上の評価なのだろうか、それを書いた作家への評価なのだろうか。前者だとすれば、そもそもこの国ではいつから「闘病小説」には「自己批評」が必要だなどという基準ができたのだろうか。後者だとすれば、「自己批評」がなかったのか、「自己批評」がないかのように書いたのか、その見分けがつくとでも言うのだろうか。(略)もしこんな粗雑な議論で選考が行われたのだとすれば、候補作が気の毒だ。
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Wikipedia の人物項目に「日本の社会学者」などと書いてある、その「日本の」は不要である。あれはアルファベットを使う西洋諸国では、名前だけではどこの人間か特定しにくいからやっているのであって、日本語版の場合、一般的には日本の、なのだから、特殊な事例以外は不要だと思う。