文藝雑誌広告の歴史

 毎月7日、日曜の場合は6日に、朝日新聞二面の四つ切広告に、『新潮』『群像』『文學界』『すばる』の広告が並ぶ。『すばる』が昔は『海』だったが、『海』廃刊後は中央公論社の広告欄になり、年に四回は『中央公論文藝特集』だったが、これも95年には廃刊になった。『すばる』が入ったのは99年年だ。
 では『海』の1969年創刊前はどうだったのか。実はそれ以前も、中央公論社の広告欄だった。さらにさかのぼると、この四つ切が出来たのは1958年7月かららしく、当初は『新潮』『群像』『文學界』で、残り一つは月替わりで別の出版社の広告欄だった。だがどういうわけか、『新潮』はその後何回か抜け、揃うようになったのは59年4月以降、残り一つが中公と定まったのは10月以降らしい。なぜ『文藝』が入らなかったかというのは、発売日が同じでなかったからか。

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出版ニュース』の「今年の執筆予定」を見ると、田中克彦が、漢字制限が緩められたことを非難して、『漢字が日本を滅ぼす』というのを書く、と言っている。国家による言語の制限が緩められたことを嘆くとは、まったく従来の主張と矛盾しているし、蒙昧主義に陥っていて、とうとうボケたか、スターリニストの本性を現したか。

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私のことを「毀誉褒貶が激しい」などと書くのは間違いである。どこに「毀貶」があるか。それらはことごとく論破した。論破していないのは、匿名のキチガイだけである。論破されたものは、もはや「毀貶」ではない。論破されてなお何か言う者は、単に中傷しているだけである。